■生きているうちに起こるさまざまな理不尽な出来事は、これは言わば当たりまえのことだと考えた方がいい。

“理不尽”がおこるとき、なんでそうなってしまうんだ!?という理由なんかはなく、ただ起こり、よっぽど運がなければ死にいたる、という厄介なシロモノなのだ。

本来、生き物ってそういうことなのだろう。残酷なようだけど。これならどうにか納得できる。

これにはたと気がついたら、多少ラクになれた。

「こうすれば幸運が舞いこみます」とか言う宗教とか風水とかあるけど、あれはちょっと違う気がする。

だって前提に“理不尽”がなく好都合的なことしか言わないから、そういうのは本物じゃないとおもうのだ。かんたんに言っちゃえばまがい物、商売だ。




老いることへの自分なりの回答がどうしても見いだせない。

おれも四十半ばに差し掛かり、現在あまり真剣にモノゴトに取り組んでないからそうした余計なことを考えるのかもしれない。

よく壁にぶちあたり悩み考えこんでいると、だいたいの場合はそれなりの回答が見えてくるものだが、“老い”についての光明はまったく見えてこない。

街で見かけるお年寄りたちの多くは希望のない目をしている。

自分の親戚縁者をみても、それは大差がない。年齢が彼らをどんどん変えていく。もちろんおれ自身も。

ただただ時間をつぶすためだけに図書館にいたり(本はあまり読んでいないようだ)、公園のベンチに座っていたり、自由といえば自由だけど、その自由な空間は辛らつに言ってしまえば、死をまっているだけの待合室にもみえる。

なかには精力的に仕事をしたり、趣味にいそしみ充実した時を過ごす人ももちろんいる。それが出来ればなんとステキなのだろう。

でも大概において現実はそうではない。

しかもその虚無な老後の傾向は近代になって大きくなっているように感じる。そう見えるのはおれがその年齢域に一歩ずつ近づいているからかもしれないが。


それにこれは国特有の現象なのだろうか、ともおもう。

欧州のお年寄りを映したTVで見ると、近所の連中が仲良く集まって料理をつくり、酒を飲んで盛んにしゃべりあっている。

とても楽しいと彼らは言う。そしてその表情はその言葉通り明るく高揚している。

おれもこの仲間に入りたくなる。こんな老後ならそれは楽しそうだ。

でもおそらく欧州も高齢者に関する多くの問題を抱えているだろう。

明るい前向きな老人はTVに映っているごく一部かもしれない。なにせその番組が問題提起をするような深刻なカラーのものじゃなかったからね。

老いの不安を解決する手腕は国家にはないし、国に頼るばかりじゃ解決にならない。事態はもっと根深くより深刻だ。


でも一歩退いてみると、老いることも人生の理不尽なことの1つでしかない。

年齢を重ねる毎に肝がすわってきて怖いものがなくなり最後はなんの悩みもなく大往生、なんてことはそうはない。

そうおもってしまえば不確実で希望的なものに固執することもなくなるから、自然体の自分でいられるのかもしれない。


明日からは楽しいGW、それらしい明るい話題でした。