
ここまで徹底してサイレント映画にすると、昔を懐かしむだけの懐古ムービーでは物足りなくなるなと懸念していたけど、そんな浅薄な作品ではなかった。
ロシアのプロコフィエフが、交響曲第一番“古典”で現代音楽に警鐘を鳴らすために作曲したのと製作の意図は似ているのかもしれない。
映画のおもしろさを原点にたちかえって見直さなければならない、という危機感から生まれた作品なのだろうか。
それにしても見事だった。
主人公のジョージは全盛期のジーン・ケリーを彷彿させる容姿で、ダンスがとてもうまい。
サイレントだからセリフは出ない。表現手段は表情と身体と動きだけで観客に伝えなければならないというハンデがともなう。
でも映画が映画たるゆえんはここにあるとおもう。
画だけですべてを伝えきらないで、なにが映画なのだ。
昨今の“説明過多”“おせっかい”映画は、ほんとうは映画とはいわない。
“アーティスト”には映画であるべき要素がふんだんにつまっている。
ヒロインのペピーが楽屋で見せたジョージへの熱き想いのシーンはその典型。
ジョージのタキシードに腕をとおして、まるで彼に抱きしめられているかのようだ。
それがモノクロでサイレントだからこそ最大限活きる。
音楽はほぼ全般にわたって流れている。
そして、なんとラスト近くのシーンではヒッチコック監督の “めまい”(バーナード・ハーマン作曲)のラストシーンの音楽がそのままそっくり流れるのだ。
この音楽は名曲だ。サントラ以外でもサロネン指揮ロス・フィルの名演奏もある。
どうもりあがって、どう終わるのかこっちは知っている。
すると物語のエンディングもああなるのか?と勝手に想像するのだが、その想像を裏切って、サイレント映画ならではの粋な展開をみせる。
ネタバレになるので詳しくは観てもらいたい。
これはめずらしく「観たほうがいいですよ」と言える映画だ。
しかしこの作品は奇しくもアカデミーを獲ってしまった。
大きな賞をとると観客は色眼鏡で観るというか、まっとうな気持ちで作品に臨むことを邪魔してしまう。
でもおれは純粋に楽しんだし感動もした。ほどよい余韻がいまだに残っている。
あ、そうだ、犬がまた素晴らしい演技をみせていた(笑)