
ロードショーとほぼ同額。さらに最近やっているオペラやコンサートを映画館で観るというライヴビューイングとかいうヤツは3,500円もするから、それと比べても破格値。
というか、ライヴビューイングが高すぎ。なにせ映画館でコンサートを観たって単なる擬似体験にすぎないのだからあれが3,500円とはボッタクリ以外のなんでもない。500円なら観に行ってもいい。
こんなマクラはどうでもよくて。
昨夜のオーケストラ・アンサンブル金沢の東京定期(サントリーホール)は実に素晴らしいコンサートだった!ってことがメイン。
このオケは室内オーケストラで通常の半分くらいの編成だが、響きの厚みや音楽的充実度に関してまったく遜色がない。立派な響きをもったオーケストラである。
指揮者は井上義道さんだ。あいわからずパワフルでユーモラス。
井上さんの指揮は新日本フィルの音楽監督だったころから接しているが、ぜんぜん変わらない。どうしてあんなに元気なのだ、ぜひ教えてもらいたい。
さてコンサート、ハイドンの94“驚愕”とベートーヴェンの“第7”が大変すばらしかった。
ハイドンはスリリングで生気に満ちていた。冒頭からひょこひょこと顔をだすハイドン節にニンマリしっきりだ。
弦はえらい勢いで弾きまくっており、ティンパニは頭の小さいバチが颯爽とした効果を生む(あの音がハイドンにはよく合う)。
ハイドンはもう大好きだね。
もっと日本でも評価されていい名曲ばかりだけど、意外に演奏頻度は多くない。
2楽章の例の“驚愕”する箇所では、ホール照明がパッ!と点くという粋な演出つきで、会場は笑いにつつまれた。
終楽章までまさに楽しさと興奮が疾走してゆき、あっという間に終わってしまった。
なんという楽しいハイドン!
続くモーツァルトの協奏交響曲(変ホ長調K297b)はいわくつきの曲。
それはモーツァルト本人が書いたのか、いまいち確信が持てない曲だからなのだ。
おれはこれを聴いていて、モーツァルトの筆じゃないな、とおもった。
第一にモーツァルト特有の輝きがない。
それに複雑かつ様々に新しい音が生まれまくる“展開”においても甘く、聴いていてあっさりとした印象しか持てない。
バンベルグ交響楽団の主席による演奏が素晴らしかったにも関らず(もちろんオケも名演)、それほどの感想しかないのは、モーツァルトじゃないんだとおもう。
でも角度を変えて考えてみて、これが正真正銘のモーツァルト作品だったとする。
だとしてもおもしろい。
なぜって、かの天才モーツァルトでさえもこのような凡庸な作品を書くこともあるんだと、どこか安心するから。
モーツァルトはあまりに天上の人物ゆえ、人間を越えたイメージしか通常持てないけど、彼も人間だったんだな、と違った親しみがもてることになる。
いずれにしても真偽の正解は先の時代にならないと分からない。
そしてメインのベートーヴェン“第7”。
この曲をコンサートで聴くのは何年ぶりだろう。
以前はあまりにも好きすぎたため何度も聴きに行ってしまったせいか、もういいかな、って多少飽きがきていた。
そんな気分でなんとなく聴きはじめたら、その気分が一変した。
序奏から“ぐいっ!”とのめりこんだ!彼等はまごうことなき本気で挑んできた。
指揮者もオケもしょっぱなから全力を出しきる。おれたちはベートーヴェンを奏っているんだぞ!と脅迫せんばかりの怒涛の迫力!
全編を通してそうなのだが、井上さんは低弦を強調する。
そうなのだ。この曲は低弦のあの悪魔的な唸り声が、隠れた根幹なのだ。
デモーニッシュで不気味な低音に支えられ、そのうえで多彩な楽器軍が踊りまくる。
終楽章なんかはベートーヴェンは当時酔っぱらって書いたのでは?と云われるほど“かっとんだ”音楽だ。
ここでも井上さんはオケに挑戦状を叩きつける指揮ぶりで、異様な興奮状態になる。
しかし冷静さも決して忘れていないから、危なっかしさはない。内面的な精神の高揚といったところだ。
やっぱりベートーヴェンはとんでないシロモノだ。
これほど巨大な作品を創造した人間とは、いったいどんな人間だったのか、と考えないではいられない。
音楽的興奮のマックスに達した瞬間、ついに曲はしめ切られた。
幸福だ。これだからコンサートには来なければならない。
さらにアンコールにやった武満さんの“他人の顔”という短い舞踏曲。
これがまたたまらない。
濃厚な弦楽合奏で、それまでの古典音楽とはまったく異なる音色をかもしだす。
その変幻自在な変貌ぶりに驚いたし、曲がまたいい。
角川映画を思わせるような旋律かとおもったら、どうやらほんとうに映画音楽らしい。
もう帰ろうとしたら思いがけず高級デザート(大福じゃないよ)が出された感じだ。
オーケストラ・アンサンブル金沢よ、すごくよかったぞ!!!