■「BGMをおとしてくれないか?」
映画“さすらいの女神たち”で、ひげを生やしたプロデューサーは行った先々のレストランでこうお願いしていた。
そのほとんどはシステム上できないとの結果だった。そのとき見せたプロデューサーのさも残念そうな表情は印象深かった。
でも自分が不愉快とおもうことについて堂々と改善しようとする姿勢は、当たりまえのことかもしれないが、好感が持てる。
おれもBGMについてはたまに悩まされる。
あまりにひどい場合は、同じく店員さんに下げてもらうようにお願いした。
ファストフードの店員さんと言えば高校生くらいのバイトが多く、BGMを下げてくれなんて、お願いはあまりないらしく、困惑の表情をうかべていた。
でもほどなくして音量が下がり、やっと落ち着ける空間になって、おれは帰り際に店員さんにお礼を言った。
でもどうしようもない場合はWMを聴いてでごまかしたりする。
でもWMは音楽なので、ものごとに集中できないんだよね。
最近やたらと街がうるさくなった気がする。
飯屋でも服屋でも店員さんたちが一斉に声をかけてくるけど、あのサービスはいらない。
あれはその会社の方針だろうけど、気持ちがこもっていないただただ棒読みの挨拶なんかは、騒音に近いものにしかならない。
“右にならえ”の世の中だからどこもかしこも似たようなサービス?をはじめるようになった。
そういう店はせいぜい5分くらいしかいられないから、買いたいものを選ぶことができない。
それもあって最近特に服を買わなくなって、もう着るものがなくなってきた。これにはちょっと困っている。
■週末はけっこう音楽を聴いていたね。
たまにはフルトヴェングラーを本腰入れて聴いてみようということで、シューベルトの“ザ・グレート”とベートーヴェンの“第5”をえらんだ。
ともにグラモフォンから出ているメジャーなもので、“第5”は1947年のティタニア・パラストでの復帰ライヴ。
ひさしぶりだったせいか、二つとも新鮮な気持ちで感動した。
シューベルトは、もっと淡々とした演奏だったような気がしたけど、じつにロマンチックで、シューベルト特有の寂しさも存分にあらわれていた。
“第5”はものすごい燃焼度。いかにも彼らしい解釈で、この曲の最高峰の演奏であるとあらためて認識した。
あ、それとN響アワーが最終回をむかえたんですね。
最近はそれほど観なくなっていたけど、終わっちゃうのはやはり寂しい。クラシック番組の1つの時代が終わったということだからね。
しかし昨日やっていたスヴェトラーノフのチャイコは素晴らしかった。
彼の指揮はもう全身でオーケストラを煽る。あれをやられちゃったら名演になるしかない(笑)。
いつもは大人しげな優等生のN響もこのときは羽目をはずしていた。
金管の絶叫なんか他のオーケストラかと聴き違うほどの充実ぶり!
やっぱスヴェトラはすごい指揮者だよ。
あとは、ウィーン・フィルの定期ではメータが振っていたのを聴いた。
まだシュトラウスの“四つの最後の歌”しか聴いていないが、これはよかったねー。
しっとりとして穏やかな歌心に満ちていて芳醇そのもの。
最近のメータの充実には目を見張るものがある。やさしく真に充実した音楽をつくりあげる。
ベルリン・フィルをふっても無機質な響きにはならず、あたたかい音楽をつむぎだしていた。
一方そこの芸術監督のサイモン・ラトルはどうもよくない。
マーラーの“復活”をCD(ベルリン・フィル最新録音)とWEB(カーネギーホール)で聴いたが、ともに機械的で“つるん”とした響きで、心が離れていってしまう。
完璧すぎるのかねー。
それとも目指す響きがそもそもおれと合わないのか、人間性が違うからなのか。なんでああなってしまうのか。
でもこれからも聴いてみるつもりだ。
映画“さすらいの女神たち”で、ひげを生やしたプロデューサーは行った先々のレストランでこうお願いしていた。
そのほとんどはシステム上できないとの結果だった。そのとき見せたプロデューサーのさも残念そうな表情は印象深かった。
でも自分が不愉快とおもうことについて堂々と改善しようとする姿勢は、当たりまえのことかもしれないが、好感が持てる。
おれもBGMについてはたまに悩まされる。
あまりにひどい場合は、同じく店員さんに下げてもらうようにお願いした。
ファストフードの店員さんと言えば高校生くらいのバイトが多く、BGMを下げてくれなんて、お願いはあまりないらしく、困惑の表情をうかべていた。
でもほどなくして音量が下がり、やっと落ち着ける空間になって、おれは帰り際に店員さんにお礼を言った。
でもどうしようもない場合はWMを聴いてでごまかしたりする。
でもWMは音楽なので、ものごとに集中できないんだよね。
最近やたらと街がうるさくなった気がする。
飯屋でも服屋でも店員さんたちが一斉に声をかけてくるけど、あのサービスはいらない。
あれはその会社の方針だろうけど、気持ちがこもっていないただただ棒読みの挨拶なんかは、騒音に近いものにしかならない。
“右にならえ”の世の中だからどこもかしこも似たようなサービス?をはじめるようになった。
そういう店はせいぜい5分くらいしかいられないから、買いたいものを選ぶことができない。
それもあって最近特に服を買わなくなって、もう着るものがなくなってきた。これにはちょっと困っている。
■週末はけっこう音楽を聴いていたね。
たまにはフルトヴェングラーを本腰入れて聴いてみようということで、シューベルトの“ザ・グレート”とベートーヴェンの“第5”をえらんだ。
ともにグラモフォンから出ているメジャーなもので、“第5”は1947年のティタニア・パラストでの復帰ライヴ。
ひさしぶりだったせいか、二つとも新鮮な気持ちで感動した。
シューベルトは、もっと淡々とした演奏だったような気がしたけど、じつにロマンチックで、シューベルト特有の寂しさも存分にあらわれていた。
“第5”はものすごい燃焼度。いかにも彼らしい解釈で、この曲の最高峰の演奏であるとあらためて認識した。
あ、それとN響アワーが最終回をむかえたんですね。
最近はそれほど観なくなっていたけど、終わっちゃうのはやはり寂しい。クラシック番組の1つの時代が終わったということだからね。
しかし昨日やっていたスヴェトラーノフのチャイコは素晴らしかった。
彼の指揮はもう全身でオーケストラを煽る。あれをやられちゃったら名演になるしかない(笑)。
いつもは大人しげな優等生のN響もこのときは羽目をはずしていた。
金管の絶叫なんか他のオーケストラかと聴き違うほどの充実ぶり!
やっぱスヴェトラはすごい指揮者だよ。
あとは、ウィーン・フィルの定期ではメータが振っていたのを聴いた。
まだシュトラウスの“四つの最後の歌”しか聴いていないが、これはよかったねー。
しっとりとして穏やかな歌心に満ちていて芳醇そのもの。
最近のメータの充実には目を見張るものがある。やさしく真に充実した音楽をつくりあげる。
ベルリン・フィルをふっても無機質な響きにはならず、あたたかい音楽をつむぎだしていた。
一方そこの芸術監督のサイモン・ラトルはどうもよくない。
マーラーの“復活”をCD(ベルリン・フィル最新録音)とWEB(カーネギーホール)で聴いたが、ともに機械的で“つるん”とした響きで、心が離れていってしまう。
完璧すぎるのかねー。
それとも目指す響きがそもそもおれと合わないのか、人間性が違うからなのか。なんでああなってしまうのか。
でもこれからも聴いてみるつもりだ。