
でも映画館でないとしっかりと落ち着いて観られない。
家だと二時間ぶっつづけで映画に集中できる環境じゃないから、こうしてムリにでも時間つくって観にいくのだ。
■“さすらいの女神たち”おもしろかったねー。
ストリッパーって云うのかダンサーって云うのかどっちでもいいんだけど、もうむちゃくちゃ人間くさい。
豊満な肉体をじゃんじゃんさらけ出すとともに自意識が相当高い。己のプライドを貫きとおす。自己主張は激しく、相手をどなりちらす。
そんな魅力的な彼女たちをとりまとめるプロデューサーも濃い。口ひげとあの目の表情、いいね。
彼らのやりとりがすごくてね。欧州では当たりまえなのかもしれないが、日本の常識から見るとあまりのストレートさに爽快さと困惑をおぼえる。
でもあそこまでお互いにさらけ出してつき合うのは気持ちいいな。
なんでもないことに怖気づいて浅いつき合いしかできないこの国の状況よりかは数段いい。
この作品は、映画を撮っているという感覚がしない。
ドキュメンタリーのように彼らの日常をうまくキャメラに収めることに成功した、ような感覚だった。
これも監督の腕なのだろう。
いやぁ、すごいね。
■“あしたのパスタはアルデンテ”
コメディかとおもいきやそうでもない。人間ドラマであるが、ジャンル別けは難しい。もっともジャンルなんてどうでもいいことだが。
この映画も欧州らしくストレートなキャラクターたちが魅力的だ。
でもシーン同士が繋がらない部分があり、もったいない。
例えば冒頭ヒロインが登場するシーン。
颯爽とスポーツカーをかっとばし主人公のわきをかすめて車を止める。主人公の男が興味本位で彼女を見ていると、その彼女、いきなり誰かの高級車のボディーにキーで傷をつけはじめる。さらにハイヒールを脱いでサイドミラーをかち割る。
主人公が近くで見ていてもまるでおかまいなし。そのまま走り去る彼女。
この傷つけられた車は一体誰のものか。これがその後まったく出てこない。
かつて彼女を侮辱した金持ちの車だとか、そんなのがあればヒロインのキャラクターにも活かせるのに、なにもない。尻切れトンボ。
そういうのも他にあって全体的につくりが大雑把な印象をもった。
おもしろい作品だったけど、そういう作りの荒さは気になる。
ただし、ラストはよかった。
(ゲイの)彼と彼女が踊っているのを少し離れた場所からくつろいだ安堵した眼差しで見つめる主人公。
このシーンはまるで天国のように陽気で、なんの心配もない異次元の世界だ。
後あじがすごくいい。
メッセージにも共感した。人生は他人の意図によるものではない、自分自身でつくりあげてゆくものだ。
映画は、シーンが良いといつまでも心に残る。
少し前に見た“ポエトリー”もおれには全体的には理解できなかったが、いくつかのシーンは強烈に心につきささっている。それを時たま思いだしてはいろいろ考えている。
先日NHKで観たビリー・ワイルダーの“失われた週末”。
主人公でアル中のレイ・ミランドがタイプライターを抱えながらNYの街を放浪するシーンも、いつまでも心に残る名シーンだ。
部分的にでも感動できるのであれば、それはおれにとって“すばらしい映画!”になるのだ。