■昨日はこの国の人にとって大きな一つの節目の日だったわけだけど、おれはまだ1年しか経っていないのか、という気持ちだね。
被害があまりにも大きすぎて(未だに全体像は見えていない)から、ここからの復興となるとまだまだ何十年もかかる。1年というのは、そのスタートラインに立っているだけといった印象が拭えないからかもしれない。
不安を持つなといわれても、持たない方がおかしい。
この先近い将来にも大地震が来る確立が高いってんだから、恐くないわけがない。
復興だ、なんて言っているそばから更に大地震に襲われることになるんだから、気持ちのもちようが難しい。
不安と恐怖を持ったまま前に進むしかないんだろうな。
そうは言ってもおれは1年前のあの震災当日、五反田にいて、交通機関はどれもストップしてしたのを幸いに「これは一晩飲み明かせるぞ!」なんて考えていた不届き者だから、えらそうなことは言えない。
ぞろぞろと集団の中を歩いていてどこか良い飲み屋はないものか、と見てまわったがそんなお気楽な飲み屋なんか開いているわけがなかった。
新橋まで行けばあそこがやっているだろうと察しをつけ、なんとか歩いて着いてみると、臨時休業の張り紙がはってあっただけ。
その頃から、これは酒飲んで遊んでいる場合じゃない、という意識に変わってきたんだとおもう。
それは重大な原発事故が起きたという事実を知ったからかもしれない。
この2日間はマーラーの5番と2番を聴いた。
最近はマーラーをさほど聴いていなかったけど、震災時の心情が蘇えってきたであろう、こういう音楽を求めるようになった。
ダニエル・ハーディングと新日本フィルが震災当日の晩、錦糸町で決行した演奏会のドキュメントを見た。
曲が奇しくもマーラーの第5番。お客が約100人足らず。
いろんな奇跡が重なって行えたコンサートでもある。
ハーディングという男は、この後も来日中止を決める幾多の外来アーティストを尻目に、何度も日本にやってきた真のアーティストだ。
彼によるマーラーは以前第2番を初台で聴いたことがあるが、これは名演だった。
3.11のマーラーは全容がわからないから判断のしようがないが、おそらくとんでもない音楽だったのだろう。
楽団員やお客さんのインタヴューからその演奏会の雰囲気が感じられた。
まさによくやってくれたとおもう。事務局もけっしてやさしい判断じゃなかったはずだ。
あるお客さんは「こんな震災の大変なときに音楽なんか聴いていて・・・」と非難されるのを恐れてなかなか口外できなかったという。
それも分からないではないが、そこは気にしないでいいと思う。
人間はいろいろだから。どうにもならない重大な局面でも案外どうでもいいことを考えたりしているし、こうしなきゃいけないなんてことは、そうはない。
なにしろおれはこの時、酒を飲んで騒ぎたい!と思っていたくらいだから。
被害に遭った当事者とか近しい人が亡くなってしまったということでないと、どこか真剣みに欠けてしまうのも人間だとおもう。
だから音楽を聴いていたってその人の判断は誰からも非難されるべきものじゃない。
今朝はマーラー2番“復活”の一部を聴いた。
演奏はアラン・ギルバートとニューヨーク・フィルによる9.11追悼コンサートのライヴだ。
冒頭アメリカ国家が奏される。合唱付で気持ちのこもった熱い演奏だ。
その後のマーラー。こちらも追悼公演ならではの特別な演奏。それをおれは震災のことを想いつつ聴いていた。
マーラーにはこうした混沌とした気持ちを浄化してくれる力があるのだ。
被害があまりにも大きすぎて(未だに全体像は見えていない)から、ここからの復興となるとまだまだ何十年もかかる。1年というのは、そのスタートラインに立っているだけといった印象が拭えないからかもしれない。
不安を持つなといわれても、持たない方がおかしい。
この先近い将来にも大地震が来る確立が高いってんだから、恐くないわけがない。
復興だ、なんて言っているそばから更に大地震に襲われることになるんだから、気持ちのもちようが難しい。
不安と恐怖を持ったまま前に進むしかないんだろうな。
そうは言ってもおれは1年前のあの震災当日、五反田にいて、交通機関はどれもストップしてしたのを幸いに「これは一晩飲み明かせるぞ!」なんて考えていた不届き者だから、えらそうなことは言えない。
ぞろぞろと集団の中を歩いていてどこか良い飲み屋はないものか、と見てまわったがそんなお気楽な飲み屋なんか開いているわけがなかった。
新橋まで行けばあそこがやっているだろうと察しをつけ、なんとか歩いて着いてみると、臨時休業の張り紙がはってあっただけ。
その頃から、これは酒飲んで遊んでいる場合じゃない、という意識に変わってきたんだとおもう。
それは重大な原発事故が起きたという事実を知ったからかもしれない。
この2日間はマーラーの5番と2番を聴いた。
最近はマーラーをさほど聴いていなかったけど、震災時の心情が蘇えってきたであろう、こういう音楽を求めるようになった。
ダニエル・ハーディングと新日本フィルが震災当日の晩、錦糸町で決行した演奏会のドキュメントを見た。
曲が奇しくもマーラーの第5番。お客が約100人足らず。
いろんな奇跡が重なって行えたコンサートでもある。
ハーディングという男は、この後も来日中止を決める幾多の外来アーティストを尻目に、何度も日本にやってきた真のアーティストだ。
彼によるマーラーは以前第2番を初台で聴いたことがあるが、これは名演だった。
3.11のマーラーは全容がわからないから判断のしようがないが、おそらくとんでもない音楽だったのだろう。
楽団員やお客さんのインタヴューからその演奏会の雰囲気が感じられた。
まさによくやってくれたとおもう。事務局もけっしてやさしい判断じゃなかったはずだ。
あるお客さんは「こんな震災の大変なときに音楽なんか聴いていて・・・」と非難されるのを恐れてなかなか口外できなかったという。
それも分からないではないが、そこは気にしないでいいと思う。
人間はいろいろだから。どうにもならない重大な局面でも案外どうでもいいことを考えたりしているし、こうしなきゃいけないなんてことは、そうはない。
なにしろおれはこの時、酒を飲んで騒ぎたい!と思っていたくらいだから。
被害に遭った当事者とか近しい人が亡くなってしまったということでないと、どこか真剣みに欠けてしまうのも人間だとおもう。
だから音楽を聴いていたってその人の判断は誰からも非難されるべきものじゃない。
今朝はマーラー2番“復活”の一部を聴いた。
演奏はアラン・ギルバートとニューヨーク・フィルによる9.11追悼コンサートのライヴだ。
冒頭アメリカ国家が奏される。合唱付で気持ちのこもった熱い演奏だ。
その後のマーラー。こちらも追悼公演ならではの特別な演奏。それをおれは震災のことを想いつつ聴いていた。
マーラーにはこうした混沌とした気持ちを浄化してくれる力があるのだ。