私の結婚生活は崩壊したところだった。
私は職をみつけることができなかった。
私には別の女がいた。
でも彼女は違う街に住んでいた。
それで私はバーに行ってビールを飲んでいた。
二、三脚向こうのバーのストゥールに二人の女が座っていた。
そのうちの一人が私に話しかけた。
「車をもってる?」
「持ってる。でもここには乗ってきていない」と私は言った。
車は妻が持っていってしまった。
私は両親の家に同居しており、両親の車をときどき使わせてもらった。
でもその夜は歩いてそこまで来たのだ。
別の方の女が私を見た。
どちらも四十前後、あるいはもっと上かもしれない・・・

(レンモンド・カーヴァー著“頼むから静かにしてくれ機匹ら“ナイト・スクール”という短編の冒頭)


■この出だしに目を通すなり、あっという間に小説世界に引きこまれてしまう。途中でやめることなんかできない。少なくともおれはね。

カーヴァーの短編には確固としたストリーらしきものはない。ないからこそ身構えて文字を追う必要がないのだ。

表面的なストリーを作り上げるよりか、なんてことない日常のなかに埋もれている“どこか深遠なもの”を追求しているようである。

まだ読んでいなかったカーヴァーの短編をぱらぱらめくりはじめると、ごく自然にその世界に入ってしまう。

これほど現実世界と小説世界の垣根が低い作品が書ける作家は、そうはないだろう。

しかも突拍子もない展開がおおく、おもわずプッと笑ってしまうのだ。

とてもおもしろい。それに彼の小説はいつどんな精神状態でも読むことができる稀有な作品でもある。



■CDではとんでもない名演にであった。

SENRIさんに教えてもらった晩年のウラジーミル・ホロヴィッツが弾いたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。ユージン・オーマンディとニューヨーク・フィルの共演である。

昼休み、どんなもんか聴こうとPCにかけたとたん、もう感動しちゃった。

多くは言わない。

ピアニストとオーケストラの演奏にかける熱い想いのすべてが、見事にマイクに収められておりすごい臨場感。

ホロヴィッツ特有の凝縮した重厚な響き、雄弁に歌うロシア賛歌、いや、それよりも音楽をしているという喜びに満ちている!

この演奏があればおれは生きていくことができる!と、なぜかそういう言葉が湧き出るほどの感動におそわれ、会社にいながら何度も涙があふれそうになってしまった。

締めくくりのトゥッティと続く聴衆の熱狂的な歓声にいたっては全身が総毛だつ!

技術的にはおぼつかない部分があり、全盛期には遠く及ばないが、でもそんなことは音楽になんの関係があるのだろう?

はじめからおわりまでこれほど感情に溢れた演奏はあるもんじゃない。

これぞ音楽!

なんだか誉めすぎだけど、ほんとうにそういう演奏なのです。

つくづくおもう、ホロヴィッツは巨大だ。




なんか妙にダルイな・・・インフルのヤツが来たのかな・・・でも今日は夜中まで仕事だし、明日も遅くまで会社にいなくてはならない・・・

寝込むにはサイアクなタイミングだ

この前はあんなこと書いちゃったけど、インフルよ、もうちっと待ってくれよ、な(笑)。