■ある文芸作品コンテストに応募するため、いま原案を練っている。
こういうものでもないとなかなか本気で書こうとしないから、コンテストはありがたい。
しかし、テーマがまたしても“絆”だという。
あの震災からそろそろ1年が経とうとしている。
震災直後からこの言葉はあちこちから聞かれ、よく意味がわからなくても多くの人々は“絆”という言葉を口にした。
当初からこういう機運にうんざりしていたおれは、この言葉に対してある種の嫌悪感をいだくようになっていた。
“とりあえず絆といえばいいんだよ”、みたいな軽々しさと、集団主義のにおいに形式ばかりのいつもの“ニッポン”を感じていた。
言葉ばかりが先走って中身はほとんど伴っていない象徴のような陳腐なひびき。それがこの“絆”という言葉だ。
それに、4月〆切の応募テーマにしてはいささか古い。
人々の結びつきという点ではそれはいつの時代でも大切なことである。とくに危機下においてはさらに重要度が増すということは、言わなくとも誰でもわかる。
それを“いまだに”絆をテーマに掲げるとは主催者の意図(センス)を疑う。
もっといいテーマがあるとおもうのだ。
次世代の充実した未来をみすえるような発展的なテーマをそろそろ掲げてもいい頃だ。
ま、でも主宰する出版社が選んだのがこれなら仕方がない。
絆をテーマにした作品を書こうではないか。
そこであらためて“絆”を辞書でひいてみたら、イメージと多少異なる意味合いをもっていた。
もともとは「馬・犬・たか等をつなぎとめる綱をさし、転じて、断とうにも断ち切れない人の結びつき。“ほだし”の意」をいう。
その“ほだし”は「人情にひかされて物事を行う妨げとなるもの。自由を束縛するもの」だという。
要するに、切りたくとも切れない腐れ縁のようでもあり、美しい人間同士の結びつきというよりかは、自由がなくうっとうしくやっかいなもの、という色合いも濃いのだ。
この点を忘れずに書いてゆきたい。
濃密な結びつきというのは、仲間意識が高まる利点(?)がある反面、その個人の自由を奪うものでもある。
それを今の日本社会は、あたりの良い一つの側面だけしか見せていないから、しっくりこないのかもしれない。
“絆”というものはやっかいな負の側面が50%はあるということを知っておいた方がいい。
これはなにも“絆”に限った話ではないはずだ。
どんなモノゴトにも良い点と不都合な点は表裏一体で存在するものだし、都合のいい解釈をしているだけでは、受け手はその工作を見破り、ついていかないだろう。
いや、今の世の人は加工品をすんなり受けとってしまう危険性がある。
こういうものでもないとなかなか本気で書こうとしないから、コンテストはありがたい。
しかし、テーマがまたしても“絆”だという。
あの震災からそろそろ1年が経とうとしている。
震災直後からこの言葉はあちこちから聞かれ、よく意味がわからなくても多くの人々は“絆”という言葉を口にした。
当初からこういう機運にうんざりしていたおれは、この言葉に対してある種の嫌悪感をいだくようになっていた。
“とりあえず絆といえばいいんだよ”、みたいな軽々しさと、集団主義のにおいに形式ばかりのいつもの“ニッポン”を感じていた。
言葉ばかりが先走って中身はほとんど伴っていない象徴のような陳腐なひびき。それがこの“絆”という言葉だ。
それに、4月〆切の応募テーマにしてはいささか古い。
人々の結びつきという点ではそれはいつの時代でも大切なことである。とくに危機下においてはさらに重要度が増すということは、言わなくとも誰でもわかる。
それを“いまだに”絆をテーマに掲げるとは主催者の意図(センス)を疑う。
もっといいテーマがあるとおもうのだ。
次世代の充実した未来をみすえるような発展的なテーマをそろそろ掲げてもいい頃だ。
ま、でも主宰する出版社が選んだのがこれなら仕方がない。
絆をテーマにした作品を書こうではないか。
そこであらためて“絆”を辞書でひいてみたら、イメージと多少異なる意味合いをもっていた。
もともとは「馬・犬・たか等をつなぎとめる綱をさし、転じて、断とうにも断ち切れない人の結びつき。“ほだし”の意」をいう。
その“ほだし”は「人情にひかされて物事を行う妨げとなるもの。自由を束縛するもの」だという。
要するに、切りたくとも切れない腐れ縁のようでもあり、美しい人間同士の結びつきというよりかは、自由がなくうっとうしくやっかいなもの、という色合いも濃いのだ。
この点を忘れずに書いてゆきたい。
濃密な結びつきというのは、仲間意識が高まる利点(?)がある反面、その個人の自由を奪うものでもある。
それを今の日本社会は、あたりの良い一つの側面だけしか見せていないから、しっくりこないのかもしれない。
“絆”というものはやっかいな負の側面が50%はあるということを知っておいた方がいい。
これはなにも“絆”に限った話ではないはずだ。
どんなモノゴトにも良い点と不都合な点は表裏一体で存在するものだし、都合のいい解釈をしているだけでは、受け手はその工作を見破り、ついていかないだろう。
いや、今の世の人は加工品をすんなり受けとってしまう危険性がある。