■人のなまえを覚えるのが昔から苦手だ。

これはよく考えてみれば、そもそもなまえを覚える気がないから覚えないね。

なまえってのは、人間にとってそれほど大切なことではないと、どっかで思っているからかもしれない。

だからその人をなにで認識しているかというと、特徴で覚えている。

「ほら、あれだよ。なんか田舎っぽい顔つきで、ドロボーみたいな口ひげがうっすらはえているやつ」

「ああ、あいつね」てなぐあい。

その人の特徴にからむ“あだ名”をつけたほうがおれにとってはてっとり早い。

だいたいあだ名で人を呼ぶ。

そうすると余計になまえを覚えなくなる。

でもこれで今まで生きてこられたんだからなんら問題はないってことだろう。


鈴木さんって苗字、おおいじゃないじゃないですか。

どの鈴木?ってのが面倒だから「これからおまえは“すずもく”っていうことにするから、たのむな」っていう。

呼ばれた鈴木もまあ、このアホが言うんじゃしょうがないな、ってことでそいつも“すずもく”に落ちつくことになる。

だからおれはあだ名をつけるのはプロ級ですよー。



今朝は超二日酔いのなか、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの1942年に収録されたベートーヴェンの第九を聴きながらきた。

これはあらゆる“第九”のなかでつねに筆頭に位置するおれにとって大切な宝的演奏なのだ。