
そこでこのイーストウッド監督の“J・エドガー”を観ることにした。
政治色の濃い映画はあまり得意じゃないから、この作品にも過度な期待はしなかった。
でも予想と反して、政治や権力といった面がメインではなく、人物を描くことに主眼を置かれているのには安心した。
しかし、その人物描写や人間関係があまりにもあっさりしすぎて、終始ものたりない。
観終わってもさほど感情が動かなかったから、おれにはあわなかった。
イーストウッドの演出はいつでも淡々としている。成功するときはそれが“いい味”を出しているとき。
なにも映画は濃厚な表現ばかりが正解ではない。
表面上ではなにも起きていないようでも、内面では劇的な感情起伏があり、それをさらりと一見単純に表現する方法もある。
そしてそれを観ている観客は胸うたれる。いろんな演出がある。
この映画での序盤。ディカプリオ(主人公のエドガー)とナオミ・ワッツ(秘書)が国会図書館でデートするシーンがある。
ここも中途半端なもどかしさを感じた。二人の気持ちがよくわからないのだ。どれくらいの好意をもっているのか。ワッツは「結婚はしたくない。仕事がすべて」と言い、エドガーのプロポーズを断るのだけど、その後この二人の関係性がいまいち煮詰まらない。
おれがいちばん観たかったのはここだった。
エドガーの死まで彼らの関係は続くのだけど、ワッツが彼になにを想い続けていたのか、や、エドガーの彼女に対する気持ちがほとんど描かれない。
そうなると全体的に中途半端なものしか観なかったという、気がしてきてしまう。
まあ、それでも現在のアメリカ映画はこういうふうに作るんだな、といくつか勉強にもなったしおもしろいシーンはあった。
大統領の就任パレードのシーンは空気感までもリアルでここはよかった。
それにしてもイーストウッドは毎年作品を続出するね。このバイタリティーには感服する。