■国会でのこっけいなほど幼稚なやりとりを聞いていて、やはり人はその場にあった会話をするんだな、とあらためておもった。

会社の労働組合執行部の話し方においても、みんな同じになる。

「○○なのかなぁ、とおもいます」といったように、強く主張するのではなく、やわらかな主張に言い換えての語尾は、いずれどの連中も口にするようになった。


おれはこうおもう。

その環境に合った話し方にあわせると、どういうわけか考え方も似かよってきてしまい、新鮮な外部の空気をもって挑戦しようと意気込んできた人間でさえも、じわじわとその集団に染まっていく。

“環境に染まる人間”という特性からは逃げられないから、どうしたって、その集団にみあった人格に変革させられてしまう。

だから今国会で話題となっているコーヒーがどうのこうのと言いあっている人々は、その弱い意志ゆえに、集団に呑みこまれているだけで、誰だってあそこにいけばそうなる。

ああいう場は、目に見えない一定のルールが根強く支配されており、そのルールに見合った話し方、内容しか口から出ないようになっていく。

だからあの茶番を辞めさせてまっとうな答弁をさせたいのであれば、まずは議員すべてを入れ替える。それにあの器(国会議事堂)から出て、もっと風通しのいい建物で議論を展開する。

それくらい大胆に模様替えして、多少はましになるか?といったとこだとおもう。


おれも最近みんなの前で話す機会が増え、そのときにどういうふうに話すのが適切なのか意識している。

具体的にいうと、できるだけ自分の話し方を貫こうとがんばっている。

みんなが使う言い回しは極力さけ、その場の空気にあわなくとも、不自然に映ろうとも、自分の言い回しでしゃべる。

これが、どんな場においても自分を見失わないコツだとおもっているからそうしている。

けっこう大変だけどね^^;



■さて音楽。昨夜はルービーを飲みながらいろいろ聴いたが、〆はしっとりとフランシス・プーランクのヴァイオリン・ソナタの2楽章にした。

それまでストラヴィンスキーやらハイドンの威勢のいいのを聴いていて、これじゃ一向に眠くならないなとおもい、プーランクに。

おれはこの曲がすごく好きで、いつ聴いてもやさしく優雅な気分になれる。

とうぜん眠りも上品になる、いい夢だってみる、とおもいきや、そうではなかった。

まだ真っ暗な4時前に目が覚め、トイレにいきたくなった。

冬のルービーはこれだから困る。

でも美味いからどうせまた飲む。懲りないおっさんだ。