■子どもたちは“天才志村どうぶつ園”というバラエティー番組が好きで、よく見ている。

おれも、ついているとついつい目がいってしまう。

どのバラティーもそうだが、この番組も、動物の動きに一喜一憂しているタレント達の表情をよくぬく。

いつもながらのオーバーリアクションだ。

そんな彼らの表情をみていて、日本は北朝鮮となんら変わらないんじゃないか、とおもった。


タレントは自分の姿がTVで放映されている、という意識で“仕事”をしているから、それらしい表情をする。

さも驚いた顔をしたり、悲しげな顔をしたり、時には涙までながす。

これはどこまでが演技なのか、演技といわないまでも自分の役割や立場をちゃんと認識しての反応でしかない。

ほんとうの気持ちとは裏腹な表情をタレントたちはそつなくこなす。プロだ。


少しまえ、北朝鮮の最高指導者が死んだとき、国営TVに“嘆き悲しむ人々”が映しだされ話題となった。

彼らの激しい悲しみと涙は“やらせ”で、ああでもしないと当局に拘束される、という話が世間にでまわった。

多くの人が、北朝鮮で暮らす人達は(言論的にも行動にも)自由がなくてかわいそうだ、TVに限らず公的な場所では自分をおし殺して、過剰に悲しむ演技をしないとひどいめにあう、あの国に生まれなくてよかった、思ったんじゃないか。

しかし、自分をおし殺してその場の雰囲気に従うというのは、日本でもまったく同じことだ。北朝鮮とそう変わらない。

TVのタレントはさっき書いたとおりだが(あまりのわざとらしさに苦笑してしまうが)、ふつうの市民である私たちもそう大差ないことを無意識にやっている。

友達の話に「ここはこういう反応を求めて話しているな」と咄嗟に察知して、そのとおりの反応を“すっ”とやってしまう。

そのことに慣れっこになっているのは現代人の特徴でもある。いや昔からそうなのかもしれない。

人間である以上、そうしてしまうのは当たりまえの反応ともいえるかもしれない。

その方がお互い楽だし、うまくやっていける。

おれもよくやってしまうが、そんなとき、ひっかかる。ああ、これは自分とかけ離れた反応をしてしまっているな、と。

人間というのは周囲の環境を敏感に意識する種なので、それは仕方ないし、“正しい”反応であろう。

それでも、本意じゃない反応にはひっかかる。

なにかが違う。自分のなかで葛藤がおこる。

そんなんだから一歩ひいて反応するクセがついたのかもしれない。




会社の面々と飲みたがらないのは、もう同じ空気はごめんだからである。

これ以上彼らと一緒にいたらこの組織と同化してしまう、という赤信号が身体の内部から発する。

同じ空気のなかはいやすいが、同化することは違う話で、それは危険なことである、とおれはおもう。

同化してしまうと自分が出せなくなり、その集団に見合った反応しかできなくなる。

これはとても息苦しいからイヤだ。