■ここに書くとき、他の人に見てもらっているという意識で書くからか、どこか壮大で、そして共感を求める風になってしまうけど、本来はそんなこと意識しない方がおもしろいものだ。
そしておれはここを文章を書く練習の場に活用しているから、これを書きたい、というテーマがなくとも書くようにしている。
書くテーマがないというのはなんとも情けない話だ。正直なところ書きたいものは頭のなかに渦をまいているが、それを引っ張り出すのが億劫な状態をいうんだろうな。
めんどくさがっている。
最近は何事に対しても情熱がもてない自分がいて、それに対してそれも仕方ないなと投げていたけど、ここんとこはそれじゃあいけない、なんとか以前のようにいきいきとバイタリティに溢れた精神が欲しいと思うようになってきた。
というのも、仕方ない、そのうち戻るだろうと楽観に構えて流れのままに自身を放っておくと、どんどん望まない下流に流されていく。なにも解決しないのだ。
それを脱するには、そこからまた上流に向かって川を逆登らなければならない。
これは相当しんどいがそうしないともう埒があかないのではないか。
と、そんなことを考えているこのごろ。
■新書「ロシア 闇と魂の国家」を読んでいる。長い小説を読む気がしないときは新書や短編を読むが、読みたいものを探すのにも一苦労する。
ロシアという国に興味があった。広大で極寒な国土をもち、偉大な作曲家達を輩出し、やたらと度数の高い酒ウオッカを飲んだりしている彼等。こっちから見ているとなぞが多すぎるし、おそろしく深そうだし、実態がまるで見えてこない。
興味があるのは地理的に日本と近いというのもあるだろう。もうすぐそこがロシアなのだ。
終戦直後の混乱時に北方四島を略奪した経緯は、共産国にありがちな理解できない強引さがまる見えだが、そうした悪しき国家の思惑も興味対象になる。
レーニンの恐怖政治時代に生きたプロコフィエフやショスタコーヴィッチの音楽に愛着があるというのも大きい。
彼らの音楽を聴いていると、ロシアの風土そのものが感覚的に伝わってくる。表現の自由がなかったからどこまでが心情を物語っているかは分からないけど、政治的でない部分、生活的な部分の表現はストレートに伝わる。
それを聴くかぎりでは、悲劇的な状況だけではない、明るく暖かい生活もあったのだと推察される音楽も少なくない。
そこにはウオッカの酔いにまかせた自由の爆発と、ダンスなどによる人々の楽しげな交流ににおいがしてくる。
昔の生活が実際はどんなだったかは現代の我々は知ることができない。残された書物などで推察するのが精一杯で、正確な実態などは分からない。
昔よりは今の方が生活レベルが上昇しているから幸福だと考えがちだけど、それはどうだろう。
文化を見る限り、明らかに現代の方が貧相になっているから、人間的な充実は昔のその時代の方が上だろう。
現代は文化を生み出すより、昔の文化を受け、再構築してかろうじて生きている、といった感じか。
しかも人々はその文化にすら興味が薄れてきている。
また救いようのない終わり方になってしまった(笑)
そしておれはここを文章を書く練習の場に活用しているから、これを書きたい、というテーマがなくとも書くようにしている。
書くテーマがないというのはなんとも情けない話だ。正直なところ書きたいものは頭のなかに渦をまいているが、それを引っ張り出すのが億劫な状態をいうんだろうな。
めんどくさがっている。
最近は何事に対しても情熱がもてない自分がいて、それに対してそれも仕方ないなと投げていたけど、ここんとこはそれじゃあいけない、なんとか以前のようにいきいきとバイタリティに溢れた精神が欲しいと思うようになってきた。
というのも、仕方ない、そのうち戻るだろうと楽観に構えて流れのままに自身を放っておくと、どんどん望まない下流に流されていく。なにも解決しないのだ。
それを脱するには、そこからまた上流に向かって川を逆登らなければならない。
これは相当しんどいがそうしないともう埒があかないのではないか。
と、そんなことを考えているこのごろ。
■新書「ロシア 闇と魂の国家」を読んでいる。長い小説を読む気がしないときは新書や短編を読むが、読みたいものを探すのにも一苦労する。
ロシアという国に興味があった。広大で極寒な国土をもち、偉大な作曲家達を輩出し、やたらと度数の高い酒ウオッカを飲んだりしている彼等。こっちから見ているとなぞが多すぎるし、おそろしく深そうだし、実態がまるで見えてこない。
興味があるのは地理的に日本と近いというのもあるだろう。もうすぐそこがロシアなのだ。
終戦直後の混乱時に北方四島を略奪した経緯は、共産国にありがちな理解できない強引さがまる見えだが、そうした悪しき国家の思惑も興味対象になる。
レーニンの恐怖政治時代に生きたプロコフィエフやショスタコーヴィッチの音楽に愛着があるというのも大きい。
彼らの音楽を聴いていると、ロシアの風土そのものが感覚的に伝わってくる。表現の自由がなかったからどこまでが心情を物語っているかは分からないけど、政治的でない部分、生活的な部分の表現はストレートに伝わる。
それを聴くかぎりでは、悲劇的な状況だけではない、明るく暖かい生活もあったのだと推察される音楽も少なくない。
そこにはウオッカの酔いにまかせた自由の爆発と、ダンスなどによる人々の楽しげな交流ににおいがしてくる。
昔の生活が実際はどんなだったかは現代の我々は知ることができない。残された書物などで推察するのが精一杯で、正確な実態などは分からない。
昔よりは今の方が生活レベルが上昇しているから幸福だと考えがちだけど、それはどうだろう。
文化を見る限り、明らかに現代の方が貧相になっているから、人間的な充実は昔のその時代の方が上だろう。
現代は文化を生み出すより、昔の文化を受け、再構築してかろうじて生きている、といった感じか。
しかも人々はその文化にすら興味が薄れてきている。
また救いようのない終わり方になってしまった(笑)