■とある交通事故映像をめぐり、中国は無関心社会だと、注目を集めている。
おれ自身その映像をNHKニュースで見たけど、なんとも痛ましく寒々しいもので、強い衝撃をうけた。
あの街の人々は、無関心というより、関心はあるが係わり合いを避けているように見えた。
関心がないわけじゃない。人の、しかも幼い子どもがあのような目にあえば、穿った言い方をあえてすれば、興味本位対象には誰でもなるはずだ。
ショッキングな事故現場を見て、大いに関心を誘い、強烈に脳裏に焼き付けられているのだけど、無関心を装う。自分は知りません。誰か他の人が助けの手を差し向けてくれるだろう、という考えからなのか、とっととその場をずらかる。
それを遠く離れた安全な場所で見ているおれらは、平然と「どうしてだ?」「あれはひどすぎる!」と彼等を非難する。
急速な都市化による弊害、だとそのニュースでは報じていた。“急速な都市化”とは一体なんだろう。
世界中の途上国のそこかしこで“急速な都市化”が進んでいる。それらすべての新都市において、中国と同様な現象がおこるとは思えない。
もっと違う要因があるような気がする。なにか事件が起こるたびに、なんでもかんでも定説どおりの解説を繰り返すが、あまりにも安直すぎるし、モノゴトをちゃんと見て考えていないのではないかと、どうも釈然としない。
例えば、共産党社会の歪みとは考えられないか。または、道徳教育の低下という指摘がTVではあったが、教育以前の大人がつくった社会の雰囲気などもないか。
人々が、というよりその街の雰囲気全体がひどくまともじゃなかったのだろう。
人はその環境がもつ雰囲気に呑みこまれ、人格を破壊され再構築させられる。みんな似たような思考・行動になるのはそのためだ。
あの街が一体どんな街なのか?ずっと以前からそうなのかもしれないし、最近何かの変化があって極端に干渉しない街になり換わったのかもしれない。
でもおれはこの非干渉傾向は日本が世界で最たるところだとおもっていた。
地下鉄サリン事件のとき、霞ヶ関駅ホームで猛毒に苦しみ倒れる人々を後続の列車から降りてきた人が会社へ向かうべく平然とまたいで行ったという現実。
この話は誇張でもなんでもなく日本だったらあり得るな、と当時おもったが、実に寂しい気分になった。
今もさして変わっていない。
綺麗に着飾って街を歩いている人間のどれほどが倒れている(またはうずくまっている人)人に手を差し伸べない人間なのか。
おれはそのときのタイミングによってしまう。どんなときでも声をかけるわけではない。非難できる立場ではないが、これは言う。
人間として、中国の人々の方が日本人より素朴で人間味があるという考えはあの映像を見ても変わらない。
“中国の不思議な役人”はベラ・バルトークの代表的楽曲で、以前から聴いていたけどいまひとつのめりこめないでいた。しかしどういうわけか最近はバルトークの音楽がしっくりくるようになった。ヴァイオリン協奏曲第二番なんてじつにいい。あのほのぐらい雰囲気がたまらない。
はい、今週もおしまい。
おれ自身その映像をNHKニュースで見たけど、なんとも痛ましく寒々しいもので、強い衝撃をうけた。
あの街の人々は、無関心というより、関心はあるが係わり合いを避けているように見えた。
関心がないわけじゃない。人の、しかも幼い子どもがあのような目にあえば、穿った言い方をあえてすれば、興味本位対象には誰でもなるはずだ。
ショッキングな事故現場を見て、大いに関心を誘い、強烈に脳裏に焼き付けられているのだけど、無関心を装う。自分は知りません。誰か他の人が助けの手を差し向けてくれるだろう、という考えからなのか、とっととその場をずらかる。
それを遠く離れた安全な場所で見ているおれらは、平然と「どうしてだ?」「あれはひどすぎる!」と彼等を非難する。
急速な都市化による弊害、だとそのニュースでは報じていた。“急速な都市化”とは一体なんだろう。
世界中の途上国のそこかしこで“急速な都市化”が進んでいる。それらすべての新都市において、中国と同様な現象がおこるとは思えない。
もっと違う要因があるような気がする。なにか事件が起こるたびに、なんでもかんでも定説どおりの解説を繰り返すが、あまりにも安直すぎるし、モノゴトをちゃんと見て考えていないのではないかと、どうも釈然としない。
例えば、共産党社会の歪みとは考えられないか。または、道徳教育の低下という指摘がTVではあったが、教育以前の大人がつくった社会の雰囲気などもないか。
人々が、というよりその街の雰囲気全体がひどくまともじゃなかったのだろう。
人はその環境がもつ雰囲気に呑みこまれ、人格を破壊され再構築させられる。みんな似たような思考・行動になるのはそのためだ。
あの街が一体どんな街なのか?ずっと以前からそうなのかもしれないし、最近何かの変化があって極端に干渉しない街になり換わったのかもしれない。
でもおれはこの非干渉傾向は日本が世界で最たるところだとおもっていた。
地下鉄サリン事件のとき、霞ヶ関駅ホームで猛毒に苦しみ倒れる人々を後続の列車から降りてきた人が会社へ向かうべく平然とまたいで行ったという現実。
この話は誇張でもなんでもなく日本だったらあり得るな、と当時おもったが、実に寂しい気分になった。
今もさして変わっていない。
綺麗に着飾って街を歩いている人間のどれほどが倒れている(またはうずくまっている人)人に手を差し伸べない人間なのか。
おれはそのときのタイミングによってしまう。どんなときでも声をかけるわけではない。非難できる立場ではないが、これは言う。
人間として、中国の人々の方が日本人より素朴で人間味があるという考えはあの映像を見ても変わらない。
“中国の不思議な役人”はベラ・バルトークの代表的楽曲で、以前から聴いていたけどいまひとつのめりこめないでいた。しかしどういうわけか最近はバルトークの音楽がしっくりくるようになった。ヴァイオリン協奏曲第二番なんてじつにいい。あのほのぐらい雰囲気がたまらない。
はい、今週もおしまい。