■東京では先週からウィーン黄金週間(勝手に命名)がはじまっている。今回はそのうち二回のコンサートに行く。
まずは、先週金曜日の室内楽チャリティーコンサート。
ライナー・キュヒルさんを第一ヴァイオリンとした(ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団という名称だったかな?)のクァルテット。
曲目はオールモーツァルトプログラム。
四人の弦楽器奏者による演奏だが、それはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の響きそのものであったことにまず驚き、うれしかった。
どこまでもやさしく、音楽だけにゆるされた“ゆとり”があり、ウエットに富んでいて、独特のあかるく(またはその反対の暗い)光を含有した、そういうウィーン・フィル独自の響きがしっかりと聴こえてきたのでした。
1曲目の弦楽四重奏14番“狩り”もそうだが、二曲目の弦楽四重奏21番ではそれが顕著にあらわれていた。
後半はお待ちかねのクラリネット五重奏曲。
これはモーツァルト最晩年の曲だけに、ほの暗くどこか寂しげな雰囲気をもち、劇的要素も濃く聴き応え十分の曲だ。
クラリネットのペーター・シュミードルさんはクマさんによると高齢で、長年ウィーン・フィルの主席を勤めた大ベテランらしい。
彼は横を向いて吹く格好となりその奏法が客席からよく見える。これによって今までナゾだったウィーン独自の響きが解けた(クマさん)という。
そしてこの五重奏曲こそが、今まさにウィーンを体験しているんだという実感が強く感じられた瞬間だった。
いつまでもこの幸福につつまれていたいという願いは叶えられることなく、あっという間に時が経過しコンサートは終焉をむかえてしまった。
たのしく、すばらしい体験をしているときほど時は瞬く間に過ぎ去ってしまうものだ。
ウィーン・フィルは他の団体と比較すべき存在じゃない。
最近の彼等はそれなりに国際化してきたが、封建的ともいうべき頑なな面は失って欲しくないとおもう。
モーツァルト以前の時代から連綿と醸造されてきたウィーンの血は、混じりっけなしの生粋のものだった。それだからあのようなモーツァルト演奏ができるのだ。
音楽は技能や効率が第一優先であってはならない。古式ゆかしい(古めかしい)伝統がことクラシックには重要なのだ。再開発により味気なくなるそこいらの都市のようであってはほしくない。
彼等の存在そのものがウィーンの音楽そのものなのだろう。
すべての組織を国際化・民主化することが当たり前のように求められ受け入れているが、それはすべてにおいて最適ではないということが、ウィーン・フィルを聴くとよくわかる。
明日は黄金週間第二弾。サントリーホールで東日本大震災チャリティーコンサートのマチネーに行くことになっている。
モーツァルト、マーラー、シューベルト。これまたウィーン生粋の名曲たち。
さてさて、どうでしょうか。
まずは、先週金曜日の室内楽チャリティーコンサート。
ライナー・キュヒルさんを第一ヴァイオリンとした(ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団という名称だったかな?)のクァルテット。
曲目はオールモーツァルトプログラム。
四人の弦楽器奏者による演奏だが、それはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の響きそのものであったことにまず驚き、うれしかった。
どこまでもやさしく、音楽だけにゆるされた“ゆとり”があり、ウエットに富んでいて、独特のあかるく(またはその反対の暗い)光を含有した、そういうウィーン・フィル独自の響きがしっかりと聴こえてきたのでした。
1曲目の弦楽四重奏14番“狩り”もそうだが、二曲目の弦楽四重奏21番ではそれが顕著にあらわれていた。
後半はお待ちかねのクラリネット五重奏曲。
これはモーツァルト最晩年の曲だけに、ほの暗くどこか寂しげな雰囲気をもち、劇的要素も濃く聴き応え十分の曲だ。
クラリネットのペーター・シュミードルさんはクマさんによると高齢で、長年ウィーン・フィルの主席を勤めた大ベテランらしい。
彼は横を向いて吹く格好となりその奏法が客席からよく見える。これによって今までナゾだったウィーン独自の響きが解けた(クマさん)という。
そしてこの五重奏曲こそが、今まさにウィーンを体験しているんだという実感が強く感じられた瞬間だった。
いつまでもこの幸福につつまれていたいという願いは叶えられることなく、あっという間に時が経過しコンサートは終焉をむかえてしまった。
たのしく、すばらしい体験をしているときほど時は瞬く間に過ぎ去ってしまうものだ。
ウィーン・フィルは他の団体と比較すべき存在じゃない。
最近の彼等はそれなりに国際化してきたが、封建的ともいうべき頑なな面は失って欲しくないとおもう。
モーツァルト以前の時代から連綿と醸造されてきたウィーンの血は、混じりっけなしの生粋のものだった。それだからあのようなモーツァルト演奏ができるのだ。
音楽は技能や効率が第一優先であってはならない。古式ゆかしい(古めかしい)伝統がことクラシックには重要なのだ。再開発により味気なくなるそこいらの都市のようであってはほしくない。
彼等の存在そのものがウィーンの音楽そのものなのだろう。
すべての組織を国際化・民主化することが当たり前のように求められ受け入れているが、それはすべてにおいて最適ではないということが、ウィーン・フィルを聴くとよくわかる。
明日は黄金週間第二弾。サントリーホールで東日本大震災チャリティーコンサートのマチネーに行くことになっている。
モーツァルト、マーラー、シューベルト。これまたウィーン生粋の名曲たち。
さてさて、どうでしょうか。