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■有楽町駅を降りて、銀座を抜け、京橋にでる(フィルムセンターのショーウィンドウは香川京子さん特集だった。テアトルでは「ベニスに死す」がやっていた!)。
そこからは野生の勘で歩くことにし、まず昭和通りを渡る。
オフィス街が続き、ほどなくして繁華街にでる。見覚えがあるとおもったら八丁堀だ。
以前来たことがある居酒屋を探して見つける(そういえば居酒屋という処にずいぶんと入ってない)。
それをまたまっすぐ歩くと大川(隅田川)にあたる。やはりここに出るわな、と思いつつ、川っぺりのテラスを歩くことにする。
しばらく歩いてゆくと清洲橋(上の写真)が見えてくる。
この橋はBSさんお気に入りの橋だ。この橋を渡って深川方面へむかう。
なるほど、この橋には歴史が感じられる。近代的な無表情というわけではなく、愛着が持てるエレガントな橋だ。画になるから撮影でもよく使われるんじゃないか。
渡りきったらまたテラスに下りて運河のような川沿を歩く。
ここらで時計を見ると14:20分位だったから歩きだして約1時間半。でもまだ疲れを感じない。そりゃそうだ。たかがこんな距離だ。
その後、一応の目的地である東京都現代美術館を目指すが、どうもたどり着かない。
道を間違えたようだ。おれの野生の勘もあてにならない。
仕方がないからコンビ二に入って地図を確認する。
やはり道を一本間違えていた。葛西橋通りの方に行かないとならないに東に来すぎた。
また戻らないとならない。でも同じ道は通りたくないから一本先の路地に入る。
しばらくすると緑に覆われた美術館の屋根が見えてきた。
このとき16時ちょい前。足のスネがちょっと張ってきた。


■「ゼロ年代のベルリン」という企画展(下の写真)が目当て。
ベルリンへは壁が崩壊した5年後ほど後に行ったことがあった。
このとき東側にも古ぼけた電車で入っていった。そこかしこに点在してあった老朽し崩れかかった建物のリアルさから、かつて社会主義国だった現実味を感じた。

そして現在のベルリンはどうなのだろう、と興味があった。
出品作はどれも刺激的であった。映像を使ったものがいくつかあって、映像がもつ可能性の広さを認識できた。

街の風景や人々の写真があるかとおもったら(それを期待していた)、そういうのは入口にかけられているモニターで断続的に流している程度だった。
でもその写真からは“ベルリンのいま”を知ることができる。
多民族が入り混じった街の人々と芸術は、実に新鋭で前衛的だ。ここに住んでいるおれらから見るとなんでもありのオープンさがうかがえる。

街はそこで活動する音楽家にも影響があるはずだ。ベルリン・フィルがあのようなライトで機能的な響きがするのか、そのヒントが繋がったような気がした。



その後は隣のひろい公園で、いつものルービータイム。
うつくしい夕暮れだ。子どもたちが元気いっぱいに遊んでいる風景は平和そのもの。


まず、根本をしっかり見て認識しなきゃならない。
人だって生き物のはしくれでしかない。理不尽な死が向こうからやって来れば、まぬがれることはできない。どんな生き物だってそこは平等。
そこに存在する当たり前の現実を度外視してしまうと、見誤り、迷う。

なんで私は不幸なのか?は、そもそも生き物自体が不幸な存在だということを知れば、基の根幹からズレないで考えが進められる。

心の救済となる宗教や“教え”ありきからスタートする以前に、まずは現実をみる。

我々は予測不可能な危うさの中でかろうじて生きている存在だと、思いつづけていることの方が案外と救いになるんじゃないか。



その公園で、先にあまり良くないと批判したラトルのシューベルトを聴いていたら、今度はなかなか好感をもって響いてきた。シューベルトの最も好きな特色である“うつくしさ”に聞きほれたし、何よりもあかるい力にみなぎっていた。

こうした音楽からはほんとうに元気がもらえる。
酔い心地も手伝って、すっかりあかるい気分になり家に帰るべく東西線木場駅にむかった。