(人類は)進歩しつづけないといけないのか?
めしが食えて生命にとってなんにも困らない状況の日本で、なぜここまで切磋琢磨しないとならないのか?
(進歩が)止まってしまったら生活はなりたたなくなるのか?資本主義だからという理由以前に、人間は強欲に支配された種ではないのか?


■酔ったときなんかに浮かんだ言葉をケイタイによくメモる。

昨日のメモはこんなんだけど、おれは働くことへの意義というか理由がどうしても見出せなくていつもこんなことを反芻している。

意義(または理由)なんかなくて、社会を支える一員として働くことは当然の義務だからそんなこと考えなくてもいい、と言う“正しい人”が大半だ。

現代世界は経済で成り立っているということになっている。経済の安定なくして人々の生活はありえないという風潮(または認識)になっている。

本当にそうなのかね?これだけ脆さが露呈してしまった資本主義はやはり“はりぼて”でしかないのではなか、とおもう。

働くというのは個人生活のためと、社会経済を支えるためという両面があり(ここはうまく考えられている)、個人生活を向上させたければ一生懸命働いてください、という仕組みだ。

それも分かるが、そこには“踊らされている感”がどうしてもしてしまい、素直にのみこめない。

しかも今は一生懸命働いてもそれが対価として報われない不条理な状況。資本主義の根幹が崩れてきている。

かといってそれに変わる新しい社会モデルは今はない。一生懸命働いてもたかがしれている。


しかし、一般社会では常にどんな状況においても、労働ということについて前向きな姿勢は崩さないで、明るい展望を持ち続けることを働きかけるような言葉が氾濫している。

そういう人は本当に自分の言葉を嘘偽りなく書いているのだろうか。新聞社に依頼されたから、国の機関から要望があったから、書いていないか。どんなどん底でも希望を持つことが経済にとって最も有効なことだとの自負から書いていないだろうか。

おれは経済をさほど信じていないし、そもそも興味もない。

朝の電車でサラリーマンや就活の学生が読んでいる日経新聞のどこがおもしろいのか分からないし、分かりたくもない。

はたから見ればどうにもくだらないことで鬱々としながら、目の前にきた仕事をただたんたんとこなすだけという毎日に、諦めをとおり越して怒りに似た心情が芽生えてきた。

なんでおれはこんなことをいつまでも続けているんだ、と。

この労働トンネルから抜け出せる光はまだまだ当分見えてこない。





■今日も午後は休みをとってぶらぶらするとしよう。

有休休暇が余って消化しなきゃならないから毎週どこかで休みをとって遊ぶことにした。

先週は昼会社を出てすぐにルービー飲み出したら、その後が超ダルくなって辛かった。だから今日は夕方までルービーは我慢して、明るいうちはいろいろと歩き回る予定だ。

天気はサイコーだ。

グラサンをかけWM聴きつつという怪しいイデタチでぶらつくのは楽しみの一つなのです。