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■上野公園はひさびさだった。

平日午後でもここは観光客がおおく、活気がある。

しかし秋の気配がはっきりと出はじめており、なんとも落ち着いた風情がそこかしこに漂っていて心ゆたかに散歩できた。

巨大な噴水があった場所は改修工事まっさかりで、立ち入ることができない。その脇にあった手ごろな石に座って休息することにした。

トートバックから買っておいたパンを取りだしてかじって、読みかけの本(ドストエフスキー『地下室の手記』)をゆっくりと読みはじめる。

ここは都会の真ん中だけど、けっこう静かで読書に集中するにはいい場所だ。

しばらくして、やはり、はじまった。

どこかに設置されているスピーカーから、機械的な序曲につづき規則正しい女性の声が鳴りだす。

「歩きタバコは他の人の迷惑になりますので、うんぬんかんぬん・・・」そしてその15分後くらいには「犬を散歩させる際は鎖で結ぶなどして、うんぬんかんぬん・・・」

そのたびに読書の集中が途切れる。

こんな閑静な美しい空間なのに、なんでこんなこと細やかな、しかも過剰な放送なんか流すのか。しかも頻繁に。

もうそこにいたくなくなり立ち上がった。


池袋駅前も相当すごい。

ここの注意喚起放送はめちゃくちゃな大音量でがなりたてている。

あれだけの繁華街に負けないようにするにはそれだけの音量が必要なのかもしれないが、そっちの騒音の方が明らかに有害だ。

東京はどこもかしこもうるさい。

いつの頃からこんないらんおせっかいに溢れるようになってしまったのか。

中島義道さんの憤りとやりきれなさは、さらに増していることだろう。



そういえば、サントリーホールでも注意喚起が増えていた。

フライング拍手を控えるように、静かに訴えているが、おれはこれにはどうも疑問だ。

最たるはまた一つ注意喚起内容が増えてしまったこと。

世の中、きれいに整理されればされるほど、それを少しでも破ることが許されなくなっていく。

ほんの少し前の世の中ではなんでもなかった些細な現象でも、現代ではそれが浮きだってきてしまい、世間はそれを消去しようと努める。

確かにフライング拍手には問題がある。特にワザとらしい、これみよがしなブラヴォーにはおれも何度も閉口させられ怒りも覚えた。

その対策として会場全員に対して注意喚起をうながす。問題のどこぞのオッサンだけを摘むのではなく、全員に対して「それはやめろ」という。

あまりに素晴らしいエンディングのときは、残響が消える前につい拍手をするときがありそれはコンサートの良き興奮の一場面でもある。自然な感情表現だ。

それをすべてやめて下さい、とはどうも釈然としないものがある。

どうせなら「ワザとらしい、これみよがしな、サクラ的なフライング拍手とブラヴォーはお控えください」と言うべきだ。いや、それもよくない。

放送で喚起するのではなく、張り紙などで注意をうながしてはどうだろうか。


これ以上演奏前の注意内容が増えると、大好きなコンサートにさえ行く気がなくなってしまう。おれはおせっかいとか、うるさいのは嫌いなんだよ。


そういや、ABCマートの店員も元気良すぎでうるさい。

仕方ないからWMしたまんまだったり耳栓しながら靴を見るはめになるから、行かなくなった。