■なんとなくさえない朝、けだるい気持ちで電車にゆられていて、本を読みつつWMを聴いていた。ふだんはそんな両方を同時にすることはしないのだけど、気力がないときは両方のパワーがほしいのだ。

シューマンのピアノ協奏曲の二楽章の静かなものを聴いていた(Polini、Abbado、BPO)。そして気がついたら三楽章に突入し快活な音楽にきりかわる。

ほどなくして気づいた、おれの気持ちがどんどん高揚してくるのだ。

なにがどうしたのか、もうどんどん嬉しくなってくる。
音楽はこう語りかけているように聞こえる「さあ!早く恋人に会いに行きなさい!」と(笑)。

もちろんこのときは恋人に会いに行くわけでもないし、そんなもんはいない。

この曲はロベルト・シューマンが愛するクララをイメージして書いた曲だったとおもう。そのシューマンの高鳴る想いがみごとに音符に転化できたのであろう。

これを聴いてさえない朝に少しだけ弾みがついた。

そして曲の最後の最後。高揚の極地のあとに訪れる、やさしさと寂しさが混在する場面(分かるかな?)。ここにくるといつでも胸がしめつけられる。熱い想いがこみあげてくるのだ(ここをおれ好みにうまく演奏する人はなかなかいない。キーシンのがベストかな)。

これだからシューマンはたまらない。


■さて“おとこずきのする女の人”というのが、ほんとのところモテる人で、そういう人は美人とかいう人じゃない。志ん朝さんは品川心中のまくらでそう言っていた。

先日なるほどそうだなぁというシーンに遭遇した。

遭遇したのはこのおれ自身で、その日は江戸散策で久々に門前仲町にいったときのこと。

この辺は安くてうまそうなお店が並んでいる。混んでいるランチタイムが過ぎた頃に適当な感覚で入った中華料理屋さん。スタッフはみんな中国の方のようだ。

そこの女性がまさに“おとこ好きのする人”の典型といえる人。

顔を見ると美人じゃない。かわいいかもしれないが、きれいに整っているわけでもない。でも身体全体からでてくる雰囲気というのかな、それがなんともやわらかい。それに笑顔がやんわりとしていて心地よく、ふわっとしている。スタイルはスリムで服装はシンプルだけど現代的。押し付けがましくない薄い化粧。そんなマジマジと見ていないけど、そんな印象の人だ。

おれはレジのする近くに座っていた。ふと見ると金を払って店を出ていくサラリーマンや食材の配達にきたおじさんなど、ほとんどの人がこの女性とちょっとした会話をしていくのだ。顔なんかにやけている。

なるほど、みんな話したくなるものだよな。おれもなんかいい話題がないものかな、とさがしたけど、なにも思いつかず、そのまま会話らしきものもせずに店を出ていった。

思えばこういうタイプの人って日本女性にはいなくなったな。なんだか現実的すぎるというのかね、まあそれは同胞だから分かりすぎるのかもしれないな。

野郎は女性のなぞめいた部分に憧れるのかもしれない。

この界隈にきたらまた寄ろうっと(笑)