
学生時代から自分が望む人間関係を実現したく、実践し、壁にぶつかり、ではどうしたらできるのか、と再考したりしてきた。
縦社会や建前社会を嫌い、あるべき自然の当たり前の人間関係は出来ないものなのか、ともうそのことばかり。
こういうのは変わるものじゃないし、変えられるものじゃない。自らの意思で作できる次元のレヴェルじゃない。もう、それしかないくらいの確固としたものなのだ。
たぶんみなさんも同じようなことで悩み考えまた堂々巡りしている自分に呆れたりしているかもしれないけど、人間なんてそういうものでしょう。
おれは意味のないことは極力したくないんですね。
社会通念上必要なことと思われていても、無意味だとわかったらとたんに嫌気がさし、もうそれを避けようとする。
短い人生においてちっちゃなことで妥協している時間はない。
こうなると現代のほとんどの社会生活はなんと味気ない面白みのない世界なのだろうと力なく見つめるしかなくなってきた。
そんでこうなっているんだろうね。
死ぬまで性格は変わらない。むしろ歳をとるごとに特徴がより浮き出てきるのかもしれない。
おれはどう転がり堕ちていくのだろうかと暗い未来を見つめているが、反面それはたのしみでもある。ほんとにそうなのです。
■さて、音楽の話。
クラウディオ・アバドがルツェルン音楽祭管弦楽団を指揮したモーツァルトとブルックナーがよかった(NHK)。
アバドは今年80歳くらいのなるのかな。TVで観るとかくしゃくとしておりとても若い。
音楽はさらに若々しく、モーツァルトのハフナー交響曲は軽やかで明るい光に満ち満ちていた!
アバドはCDでもモーツァルト・オーケストラと同曲を録音しているが、それよりも輝かしい演奏に聴こえた。ああいう演奏はいいね。
ブルックナーにしても同様ですっかり引き込まれた。重量級の重みとは無縁の低音フォルテだが、あれはあれで素晴らしい。おれはブルックナーの交響曲ではこの第5はいちばん好きな曲かもしれない。
ついで同コンビで2年前にやったマグダレーナ・コジェナーを迎えてのマーラーの第4。これにも感動した。
コジェナーの表現力と歌唱力の高さ、彼女の声質がこのオーケストラと見事にマッチしていて非常に心地いい。まさに天上の音楽だ。
ウォークマンに撮って何度か繰りかえし聴いてみよう。
この番組の冒頭、アバドが東日本大震災の被災者の方々に向けたコメントをながしていた。
「(CDでもなんでもいいので)音楽を聴いてください。音楽からはきっと明るい希望が得られます」みたいな生きる希望のための手法を示していた。
アバドは音楽の力を100%信じている。指揮者たるものそうでなければならない。何があってもまずは音楽。
でも残念ながら現実は全員の方々に音楽はそれほど力を与えるものではない。
なんの感動もおぼえない人も多いし、反対に深く感銘を受け、活力が蘇える人だってたくさんいる。
音楽家アバドの信じる力の強さとともに、ある1つの世界を過大視する狭い考え方も垣間見たような気がした。
その道のスペシャリストはそればかりがすべての世界に見えてくるから、その他の世界が広く多様で混沌としたものだということを忘れがちになってしまうのだろう。