■このブログを読んでくれる人もこのところ変わってきたようだ。

MYPCから「ルービーと・・・」って検索したらこのブログが出なかったから(ドイツ語名にした)、リンクをはっている人以外は見つからない。

直接おれと面識がある人が読んでくれているときは、どうしたって書きたいことに制限をかけてしまう。

できるだけそうはしないつもりでいたけど、そうなってしまう。すると無難な文章になる。こういう文章ってあんまりおもしろくないんだよね。

その人の内面がストレートに出ていないと読んでいて飽きてきちゃう。

だから“知らない人ばかりが見ている”という意識でもって、もうちょい箍をはずしていくとしよう。



■最近は世の中に迎合しない姿勢を意識しているから、こんな偏屈なことばかり書いているけど、ここには気をつけなければならないことがある。

あまりにこの姿勢の度がすぎると単なる厭世的なつまらない人間になってしまう。己を見失う。

だからこれは1つのスタイルであって、それはそれで置いておいて、本当に自分のやりたいことに全力でぶつかりたい、考えている。

が、問題はそのぶつかりたいものがなんなのか?が見えなくなっている。

自分に文才がないのは分かっているけど、続けていくだろう。でもそれもどうなんだ、他になにかあるんじゃないのか、とか原点に戻っている。

今までもこういうのはよくある。取りくんでいるときでも、やっているようで、たいしてやっていない。

中途半端というのはおれの美点であり欠点でもある。

たぶんそこからそう易々とは脱却できやしない。なにも変わらないだろう。それでもいいのではないか。何かが見つかればその時は勝手にがんばる。ここでほざいたってどうしもようもないのだ。



■「がんばれ日本」と声援を送ってくれる海外の人と、日本の食べものを敬遠する海外の人は同一人物なのか(海外で日本の食品を受け入れない動きがあると新聞は報道していた)。

おそらく同じだろう。それにそういう一見矛盾する行いは正直だとおもう。

大変な想いに苦しんでいる人にはエールを送る。でも自分とその家族にはその苦役の外にいることを望む。

これが人間だとおもう。

おれもきっとそうする。危険な可能性があるものは避ける。

醜いか否という判断は容易ではない。


とにかく、自分の気持ちにないことは出来るだけ言わないほうがいい。気持ちをちゃんと探り、見つける。

でないとおれはおれじゃなくなる。あなたもあなたじゃなくなる。

では一体何になる?

それは世間になる。

なんかアホな歌詞みたいだな(笑)


世間になるか自分に拘るか、これも正解とか不正解という話ではない。

そうなりたければなればいい。まったくの自由だ。

誰も非難できる領域じゃない。