■この前、時間があったから渋谷のタワーに行ったんです。CDを買うという習慣が途絶えていたからここに来るのは久しぶりだ。

ネットではクラシックCDの新譜情報をよくチェックしているから、どんなのが棚に並んでいるかはだいたい分かっている。

特に目当てのCDがあるわけではない。なにかいいのがあれば買おうか、とそんな程度。

でもこの日、買いたいCDは一枚もなかった。このことは少しショックだった。


いつもだったらどのCDに絞るかが大変な作業なのだ。たまに厳選作業に疲れてしまい結局なにも買わずに店を出る、なんてことも多々ある。

でも今回は一枚として購買意欲を刺激するものはない。


でも、もともとあまり買う気はなかったのだ。

CDに対する魅力というか、そういう興奮は近頃あまりない。

新譜市場が奮わないという実情もある。今の演奏家で新譜を心待ちにする人はいない。

現存の指揮者で好きなレパートリーはもうほとんどCDとして出てしまっていて、マイナーな作品はさほど聴く気がしない。

名門ドイツ・グラモフォンはユニバーサルミュージックに吸収される前から軽いモノしか出さなくなった。

ベームもバーンスタインもカラヤンももうとっくにいないのだからこれは仕方がない。CDの黄金期はとっくに過ぎてしまった。

最近の軽めの演奏スタイルはおもしろくて良いんだけど、どこかものたりない。

だから新譜に期待しないで家にあるヤツを改めて聴きなおしたりしている。

家には膨大なCDがあるけど、すべてを一生懸命に聴いていないから結構聴くべきCDはたくさんあるのだ。


それと買いたいものがないというもう一つの要因は、自由になる金がないから勿体ないのです。

節制生活を送りつづけているせいか最近すっかりケチ野郎になった。

そうなるとモノの見方も変わってくるものでね。

改めて、飲み屋のビールのなんと高いこと!ちょっとお洒落な店だとコレでこんなんかい!?みたいな暴利っぷり、と感じるようになる。

アホらしくなってきたね。だから飲み屋にも行かない。

だいたい一人で飲むけど、人と飲むんでも外の場合が多い(外がイヤだという人とは店に入るが)。

おれの変な強さはどんな場所でもまったく気兼ねしないで堂々と飲めるということ。なんの自慢にもならんが(笑)

これは学生の時分からそうだけど、駅でも、電車の中でも、街のベンチでも、神社でも、気にならないから、別に店になんか入らなくたっていい。

いまの日本、経済復興のためにもお金を使いましょう、という声があり、言わんとすることは分かるが、おれはそれには乗らない。必要なものにしか金は出さない。

余裕のあるヤツがジャンジャン遣ってやってくれ。

それに金をかけないならかけないでそれほど困ったりしない。おれの趣味なんて金がかからないものしかない。

読書は図書館でなんでも借りられる。音楽はTVやラジオで最近の演奏会のが録音できるし図書館ででも借りられる。ルービーは第三のビールが100円ちょっとで買えたりする。映画は映画館で観るが、そんなもんたいした額じゃない。

飯は家でちゃんと食えば外ではテキトーに腹に入れればいい。

みみっちいけど、そんなもんで済む。楽なもんだ。



でもメシもあれだね、情報がよく分からないから何を買って食っていいもんだか迷う。

おれの歳になればもういいんだけど、子どもが食うもんには確実なものがほしい。

牛の肥料に高濃度の放射線物質が含まれていたとかで大騒ぎしているけど、豚とか鳥はどうなんだ。または魚、野菜、米の汚染度合いはどうなんだ。牛だけってのはあり得ないのではないのか。

新聞を積極的に読まないから詳しく知らないけど、産物に対しては懐疑的になってしまう。

すべてを知ったらパニックになるからあえて言わない、なんてことになっていたりしないだろうか?


先日とあるスーパーでうまそうなカツオの刺身が売っていた。その産地を見て唖然とした。

「産地:日本」

フツウこんな標記はしない。日本のどこなんだ?これじゃ余計に怪しまれる。東北産が危険なのかはおれは知らない。でもこういう曖昧な標記では危険だといっているように映る。

そのカツオ、本当に安くて美味そうなのだがまったく売れていなかった。