
この映画、とってもいい。
冒頭のクレジットからラストの花が挟まったノートのカットまで息が詰まるような(?)楽しさというか、衝撃と言った方が正直だな、そういう思いで観ていた。
映画が描くことのできる世界はこんなにも広かったのか、という希望と、今まではほんの一部の世界しか描いてこなかったのでは、という反省点が思い知らされる。
舞台はイラン郊外の貧しい村。
そこに住むアハマッドという少年の二日間は彼にとっては命をかけるほどの冒険。でも彼と接する大人にとってはなんでもないまったくの日常。
これはアハマッドが間違って持ってきた友だちのノートを返しにいくだけという実にシンプルな話だ。
しかし、アハマッドは数々の理不尽ともいえる妨害にあう。ここの大人は子どもの言い分なんかなにも聞かない。日本の大人のように変に物分りのいい人達じゃない。
それはここでは生活していくのが大変で経済的ゆとりがないという背景がある。それを子どもも肌で実感している。怖い大人たちとそれを恐れる子どもたち。
どんな大人にも歯向うことが許されない絶対的圧力が子どもたちを支配しているから、あんなおどおどした目になる。
監督は子どもの目線に立つのが実にうまい。観ている者はきっと子どもだった時代を懐古するんじゃないか。
おれは子どもの時分の体験をおもいだしたね。
これほど過酷な少年時代じゃなかったけど、ヤバいときのあのぎりぎり感、ここで逃げないとほんとに殺させる、または、悪いことを悪いことと理解していないで後でこっぴどく怒られてようやく事態がうっすら分かったことなど、似たような感覚。
子どもはまだなにも世の中の仕組みが分からないから全部を真剣にとらえる。
楽しいことも恐ろしいこともぜんぶが人生の一大事のように思えるのだ。
アハマッドたちの大きく見開いた目はまさにそれだ。彼らの視線は自然とそうなってしまうのだ。
ラスト近く、床で勉強しているアハマッドのすぐ横のドアが強風によりバタンと開く。
外は嵐のようだ。それをただじっと見つめるアハマッド。こういうなんでもないようなシーンが実に印象的だ。
映画はセリフで多くを語らないでいい。
■それともう一つ。昨夜NHKで観た『異人たちの夏』もよかった。
鶴太郎と秋吉久美子さん演じる両親のステキなこと。
これぞ江戸っ子!といわんばかりのカラッとした粋の良さと深い人情、いやー、なんともいえないね。
浅草という舞台もよく、おもいっきり郷愁に浸ることができた作品だった。