■この言葉は街のいたるところで目にするが、なんだか腑に落ちない。

誰が誰に対するメッセージで、何が言いたいのかわからないから、焦点がボヤけて気持ちわるい。

この国はこういう標語が多いね。


もし“がんばれ日本”だとしたら国に対して“がんばれ”と励ます格好になるから、なんだそりゃ?ってなる。国土に?土に?って。

または国民に対して“がんばれ”だったら「(発信している)おまえも日本の一部だろ、指示するならまずはおまえからやれよ」って変なことになる。

でも“がんばろう”だ。

こういう書き方は自分自身への決意の言葉にとらえられる。

けど、発信者の本意はそうではなく広く市民全体に向けられており、真意は「君たち、がんばれ」ということだろう(または「私たちと一緒にがんばろう」)。

こう言うと勘ぐり過ぎかもしれないが、なんかいろんな裏の意図を感じないわけにはいかない(しかも当の発信者はがんばるのかは判らない。言いっぱなしの無責任な響きもある)


はっきり言わないところがむずがゆくてとてもイヤな気持ちになる。

あまのじゃくな俺は「いやだね。がんばらないね」となってしまう。

おれはこの国が大変な窮地になっているのは自分なりに十分わかっている(細部まで分からないが、ただ大変な事態だという認識はある)。

それに対して何か力になりたいという気持ちも持っている。

そのうえ、街中にこのような標語があふれているのを見ると、それだけで正直疲れる。


標語とは難しいものだ。

そう簡単にべたべた張ればいいってもんじゃない。

ただでさえ指図標語で溢れかえっている日本だ。標語の乱立はいい加減にしてほしい。

それに災害復興は指示されて動くことではないだろう。自発性を潰してしまっている。

標語をかかげる側にそういった配慮はまったくない。

ここは重要なところだとおもうのだが。



被災地と日本全体の現状はどうなってんだ?

いま、一番必要なことはなんなんだ?

それを正確に知れば自然とやるべきことは見えてくる。

メディアの役割はここだ。

装飾も隠蔽も歪曲もしないでただただストレートに現状を伝えること。

これが最も必要なことだとおもう。