■周囲が変わったのか、おれ自身が変わったのか・・・おそらく後者だな。

いままで気になっていたけどそれほどでもなかったことが、ここ一ヶ月前辺りから気になりはじめて、それがどうしようもなくふくらみ、我慢がならないほどになってきた。

ここまで来るともう後戻りできなくなる。しなくともいい。

そんなおれに接する相手にはその変化が伝わるからか、「なんか前と違うんじゃないのか?」と訝しげに思われることも多々ある。

それもあって最近は人と会うのがなんとなくこわい。

でもそれは仕方がない。それを押し殺し以前の自分にすっかり戻れという方が無理な話である。


で、その気になって仕方がないことというのは、この国に蔓延する同調重視の意味のない会話(または対応方法)だ。

周囲の誰もが強烈にそれに支配されてきたことに違和を感じだした。そしていつのまにか自分自身もけっこう染まっていることに気がつき、それにもがっかりしてしまった。

若い人(特に男)の“己殺し周囲の意見重視的意味なし会話”は凄いことになっている。

もうその人が一体何を言いたいのかまったく理解できないことがある。

意思のかけらもない。

自分の意思をそこまで押し殺すことがなぜこの人はできるのだ?ダイジョウブか、アンタ?と心配するより呆れこんでしまう。


こういうことに敏感なおれの我慢の限界はとうに超えてしまった。

いったんそうなるといろんな事が気になりだす。

チェーン店の店員の過剰で卑屈な態度に哀れみより嫌気がさし、電車で無気力なおっさん連中を見ては同情心なんか微塵もせずに苛立たしさしかない。

みんなと仲良く云々かんぬんとかいう無意味な統制用語には鼻で笑って、返って反抗したりする。


しかし、おれと家族は生きていかねばならないし、金を稼がねばならない。

それが出来なくなるほど感情が突っ走らないように自制しないとならない。したくはないからしないでもいいのかもしれない。今はまだわからない。


会社なんか同調主義そのもの。

強制的に同じ思想を植えつけられ、同じ行動を取らされる。さらに勤務時間外までもその威力が侵食してくるといった恐ろしさだ。

不健全極まりない。もはや会社人間には軽蔑しかおぼえなくなった。


そういった怒りの感情が高まったときブラームスとかベートーヴェンを聴き、共感して怒りをおさえたりする。

またはそのままの思いをいろいろと書きなぐってもいい。



人間、丸くなってはいけない。角がたったまま一生をおくるのがいいのだ。

ここ日本では、周囲に合わせるがために自己の全てを殺してしまう傾向がますます強力になっているが、そうなるとその人のせっかくの魅力がなくなってしまう。もう完全に魅力はなくなり、なんでもない平均的などこにでもいる“日本人”という枠にすっぽりと納まってしまう。

魅力というのはそんなところからなくなるのだからおもしろい。

はやりそれは間違ったことなのだ。

今ならはっきり分かる。

すべての事柄に関し、周囲なんかより自分の感性で動くのだ。

この世の中に普遍的な正解などはない。我々はそれほどいい加減な世界に住んでいるのだ。

であるのならば自分勝手に思ったことを堂々とやらない手はない。

言いたいやつには言わせておけばいい。

問題は、その言いたいやつが大多数だということだが。