■東京駅構内を歩いていたおれの前に、笑いながら歩く二人のリーマンがいた。

年のころは二人とも三十代後半といったところだろうか。

一人は半歩後ろからひっきりなしに“笑えるネタ”を披露している。

その彼の期待どおり聞かされる男も大きな笑い声をあげている。

時折耳に入ってくる“笑いのネタ”はさほどおもしろいとはおもえない。

よくあるなんでもない他人の中傷のようだ(まあ、これがおもしろいのだろうけど)。


でも彼らの最大の関心事はその内容ではなく、この場を盛りあげることである。

シラケた雰囲気が入る余地をなくし、“楽しくてあかるい有意義なコミュニケーション”の瞬間を築きあげること。これなのだ。

がんばって話をしている、という姿勢もどこか不自然だ。


稀にこういう人達を見かけるが、おれはこんな無理してまで会話をすることはないとおもう。

誰かと一緒にいるとき。上司でも同僚でも友達でも家族でも、誰でも、フツウにしていてよく、無言の時間がいくらあってもなんの不都合もないはずだ。


いや、お客さんと接しているときに無言ではどうしようもないな。

それは仕事なので、無理して会話でつなぐときは多々ある。


しかし会社の同僚だとかはそんな風に気をつかう必要はない。

でも多くのリーマンはそのときでも気をつかいムリな会話をしている。

あたり障りのないどうでもいいようなこと。

これは不自然なことだし疲れてくるんじゃないか。

それにその調子でアフターファイブまで一緒に酒を飲んだりして、そこでも愛想笑いをして気をつかっているのだ。

さらに、そのような愛想笑いをしている当人は「それも仕事のうちだから仕方ない」と内心思い込んでいるのだから始末に悪い。

この古式ゆかしい日本の伝統的構図は、相も変わらず存在している。

疑問にすらおもわない。



それと、今は抵抗する人がいないね。

どんなことでも社会(会社)が決めたことだからと、内容に関らず平気でそれに準じてしまう。

こうしていると、だんだんとその人の“芯”がなくなり、魅力的だった顔がだんだんとつまらない顔になっていくものだ。個人的にそうならないよう気をつけている。

この世の中、あきらめのいい“良い子”ばかりになっていき(無意識では不本意なことばかりを受け入れて)、挙句の果てに無表情で無感動な人になっていくとしたらそんな馬鹿げたことはない。

現代のニッポニアは抵抗する牙をはじめから持ちあわせていない。

たとえ生まれたときに立派な牙をもっていたとしても、それは抜きとられてしまう。

高性能の抜歯技術で本人が知らぬまに牙はなくなっている。



それに、杓子定規。

例えば省エネ。

省エネは十分解るが、反応が過剰すぎるし、みんな同じ方にピタッと向いているのが気に食わない。

夏場の温度設定は28度。

なにも考えずにそれを守るから今日のような涼しい日には暖房になってしまう。

そんで「暑い!」とか言って汗をかきながら仕事している。

アタマいいよね。

それをみんな我慢しているのだから、学校で一体なにを学んできたのだ、と勘ぐりたくなる。

まあ、学校でちゃんとお勉強して、いい子ちゃんになって、おもったことが行動できない立派な大人になった、という証なのでしょう。

ニッポンの教育は成功したってことだ。


俺はその点バカだから勝手に室内温度を下げる。

どうせすぐ元どおりの温度に戻す模範生がいるのを知っている。


ヘン!省エネなんてクソ食らえ!ってんだ。