■シャイな天才指揮者カルロス・クライバーは音楽がはじまると、いてもたってもいられなくなる。
すぐさま音楽の世界に没入し、全身を最大限に駆使して華麗なダンスを踊る。

もちろんそれはダンスなどではなく真剣勝負そのものの指揮活動なのだけど、あまりの優雅さとすさまじい迫力に、つい見とれてしまうのだ。

音楽家の使命の1つである“神と人間との伝達師”という意味においても、彼ほどの適任者はそうはいない。


86年の昭和女子大人見記念講堂でのバイエルン国立管弦楽団のベートーヴェン『第四』はオルフェオのライヴCDを凌駕する迫力をみた(第一楽章展開部など)。

喜歌劇「こうもり」序曲の出だしの、なんとスリリングでコージャスなこと!!

日本公演をクライバーはとても自由に楽しんでいるようで、音楽もその分活き活きと活気づき、すばらしい名演が実現した。


それにしても日本人は熱狂しすぎる。

“雷鳴と電光”のフライング拍手は無理もないけど、あとはもうちょっとがまんできないものか。
相乗効果もあって異様な騒ぎとなった。

ま、あの演奏では無理のないことかもしれないが。



■大震災は、ほんの少しだけ復興の兆しがみえてきた。

それにつれて現地の状態も変化してきたようだ。

避難者のストレスは限界が近づき、原発問題は危機から一向に脱しない。


そんななかで、許されない日本人たちの報道を目にする。

義捐金詐欺、リフォーム詐欺など、悪を悪と知っていながら金をむしりとろうとする日本人たちがいるという。

先月の海外報道では日本人の忍耐強い精神が褒め称えられていた、が、それはすべての人には当てはまらない。
その正反対の奴らがすぐ横にいる。しかもそれも少なくはない。


こういう人たちは“想いがない人”なのだ。

人の気持ちが理解できない。他の人の不幸、悲劇を他人の痛みとだけとしか感じることができない、共感する能力が欠落してしまった人なのだ。

でもいくら“想いがない人”だといってもすべての人が犯罪には走るわけではない。

そこにさらに黒い黒い絵の具が注がれ、非道で冷たい人間に変化していくのだ。



買占めにしても同じ精神が働いている。

いい年をした元気な人が我先にと買い占めるのを見たり聞いたりする。

自分だけがよければ、という偏狭な考えは、やっぱり醜い。

そして、それがあっという間に世に伝染してゆき「買占めなければいけない」意識が浸透していく。

自分を持っていない人はそれにあっさりと同調し、今の形となった。