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■先日久しぶりに会った友達と話しているうちに、婚活の話題になった。
その人自身が婚活中ってのもあり、その話はなかなか興味深い。

『就活』は分かるけど結婚するのに特別に活動するってなんなんだ。それはそぐわないなと前々からおもっている。単なるビジネスにのっけられているだけじゃないのか?って。

ここには両方の要素がある。
結婚にしてもお葬式にしても、現代の日本では必要、いや、いまだになくてはならないとされている風習であり、そこには商いがべったりとくっついている。

その商いはだんだんと巨大になっていく。金儲けのみが膨んでみんなから要望される根本的なものが手薄になる。特に最近のお葬式は莫大な費用がかかりこれでは死にたくても死ねない。しかし誰もがいつかは死ぬ、自分の葬式のために金を貯めておくことは業者を潤すためだけのような気がして、まったく釈然としない。

でも結婚はだいぶ違う。
今は結婚したくてもしにくいという社会になっている。
昔と比べても仕方ないのでしないが、結婚を計画的にあたかも仕事のごとくとらえているところにそもそもの勘違いがあるようにおもう。

友人に聞くところによると、婚活のひとつである出会いの場(この響きはなんだか怪しい、正式な名称は知らないのであしからず)では、お互いのセースルポイントを表記しつつ、それを頼りに自分に合う人を探し絞り込む。
もちろん経済面やお互いの家族といったこと以外にも見た目やその人の雰囲気もしっかり考慮しないとならない。

むしろ外見がいちばんのポイントだという人もいるだろう。
映画監督のフェリーニは起用する俳優を外見だけで選ぶ場合があるという。
セリフがしゃべられなくともよい、後で声優に吹き替えをさせるから。

「恋愛は一目ぼれ」名は忘れたけどそういった人もいた。おれもその口だ、一目ぼれはよくしていた。

人は恋愛期間中の時はいわばまともでない脳の状態になる。その異常でバラ色の世界しか見えない状態のときが結婚の絶好のタイミング。その勢いを逸してしまうと結婚は難しい。魔法から解かれる前にしないとその気はなくなる。

そこには意識上の計算などはまったくないから本人にしてもなぜ結婚したのかはしっかりした理由は分からない、ただ好きになって結婚しただけ、程度。でも遺伝子ではしっかり計算されているのかもれない。

極端に言うと結婚ってこういうことだとおもっている。

だから婚活によって、社会的地位が高いから、収入が多いから、やさしいから、おもしろいから、といった表面的な判断で付き合って結婚というのは、けっこうしんどいものなのかもしれない。

それは人は自分自身でも性格のすべてを把握しているわけでもないし、時期を経てどんどんお互いに変化していくものだからだ。「こんなはずじゃかった」は結婚生活にもれなくセットで付いてくる。それに臨機応変に対応していかなくては波状してしまう。

経済的安定とか自分が言う性格を信じきって選ぶと、それが裏切られたときに本当に相手にすがるものがない。感情で深い信頼が生まれていれば別だけど、そうでなければ壊れてしまう危険が大きい。

もちろんそういう例ばかりでないことはみなさんは言わないでも承知してくれるだろう。

だから婚活もたんなる知り合うきっかけ程度にしておくといいんじゃないかな。

しかし人と知り合うとこは日本人の苦手とするところだ。
腹をわってじっくりと心の底までの会話をすることはそうはない。