
アナログ中心生活をおってネットとの距離を開けていたせいか、ゆったりとした気持ちになれましたね。
この距離感でなら自分のペースを侵食されず健全を維持できる。
それにまたそろそろ海に入りたくなったしね。
スローペースで再開していきます。
でも今までのじゃおもしろくないから、試験的にいろんな書き方でやってみたい。
まずは三人称で。
■そのときは強い興味と愉しさをもってやっていたことが、いつのまにか情熱が薄くなってしまう。
あれほど固執していたことがなんで今はそれほどおもわなくなったのか。
こういうことはどんな人にもある。
この男“ボブ”にもそれは当てはまる。
当てはまるどころかその傾向は人一倍強いのではないか、とすらおもっている。
その変化の原因を振り返って考えると、ぼんやりと見えてくるものがあるが、本当にそれがそうなのか確証がもてない。
だから結局はわからないことなのだと、いつも追求をあきらめてしまう。
でもこういう内面の変化が音楽に対してだけはあってはならない。
音楽に対する情熱がなくなることがずっと以前から彼の恐れていることだった。
そんなこといったってこれは己の意思ではコントロールが効かないとても深くて未知の領域での出来事なのだけど。
幸い彼は今でも音楽が大好きで、毎日の生活のなかにいつでもある。
最近ではモーツァルトのピアノソナタをスコアを追いながら聴くということをやっている。
彼は残念ながらスコアが読めない(音をイメージできない)から音楽に合わせて追うだけだけど、それだけでもかなりの楽しさを味わえた。
・・・これで本当にスコアが読めるようになればもっともっとモーツァルトに近づけるのに、と惜しくおもうのだ。
ピアノソナタ以外にも歌劇『ドン・ジョバンニ』『魔笛』をウォークマンに入れていて、街なかでその美しいアリアを聴いてうっとりしている。いやうっとりしているかどうかは微妙なとこだけど。
馴染みのない音楽もこうして聴いていれば徐々に親しみの情がうまれて、ついには夢中になることがよくあるのだ。
「もっとふかくモーツァルトを理解したい」彼のこの欲求は以前にも増して大きくなってきている。
それはだんだん歳をとってくると、欲求の対象が変わってくるという事実がそうさせる一因なのだ。
若い頃の自然で野生的な欲求にあまり魅力を感じなくなってきている。
それが人間として危機的なことなのか、自然なことなのかはわからないし、どっちでもいい。たいした問題じゃない。
でも歳をとるのはこういうことなのか、とその地点に立ってみてやっとわかることがある。
話題を変えよう。
彼は今週『ヒアアフター』というアメリカ映画を観て、その余韻が感情に残っている。
80歳を越えたクリント・イーストウッド監督の無駄を排した淡々とした演出が気に入ったようだった。
冒頭のすさまじい津波のシーン。なんの説明も前触れもなく津波はやってきて人々を呑み込んでいった。
邦画ならこういうシーンではにマスコミ役の役者に派手にしゃべらせたりといった余計な演出をするところだけど、『ヒアアフター』はそんなものは微塵もない。素っ気ないほどの描き方。
でもこういうシンプルな演出を彼は気に入いっている。
日常の職場ではうるさい雑音にしかめっ面をしているせいもあって、特にいまは静かな環境を好むようになっているからだろう(なんでこの周りの人達はあれほど切羽使った話し方をしつづけるのだろうか。マシンガントーカーに囲まれえている)
この映画のエピソードで、主人公マット・デイモンと料理教室を通じて親しくなった女性がいる。
しだいにお互いに好意を抱くようになる。
しかし、あることをきっかけにこの女性はプツン・・と姿を消してしまう。
そしてそれっきり料理教室に来なくなり、二度と再開することはない。
村上春樹さんの小説でも似たようなエピソードが登場する。
ボブは実際の人生である事を思いだす。
それまで親しいとおもっていた友達関係がなんの前触れもなくいきなり断絶してしまう。
前触れがないとおもっているのは彼自身だけで、実は相手にかなり嫌悪感を与えていたのかもしれない(そういうこともあったけど・・・)。
でもそんなことはない。
どう思い返してみても、それまでの事柄ひとつひとつを検証してみても、関係が遮断させるようなヘマはしていないし、相手の様子にもなにも変わったことが見受けられなかった。好意をお互いにもっていることに変わりなかったはずだった。
嫌な予感がしながらも遠慮がちに連絡をとってもなんにも反応がない。空白。
やがて理解する。これはケイタイの故障とか返事がしたくても多忙でできないとかいうのではなく、相手が意図的に断絶したのだと。
何日間かはひどく混乱する。
しかし、だ。しかし落ち込んでいる気持ちのどこかで、その痛みとは反対にプラス的な要素があった。
充実とまでは言わないが、少しだけこういう不幸をおもしろがっている自分がいることをうっすら悟る。
説明がつかない。
なんでこんな状況に対して僅かながらにせよ充実感をおもうのか・・・
なんとなく訊いてみたい「なんであのとき切ってしまったの?」と。
でも聞いたところでなにか変わるわけでもないし、やっぱりいいかな。それは真相を知るのが怖いからかもね。
・・・なぜか三人称だとグレーな文章になってしまった^^;
ではまたー