■小澤さんのサイトウ・キネンのドキュメント。

TV画面からでもものすごい気迫が伝わってくる。

本人は「(病気を経験して)音楽が深くなるといいんだけど」と言っていたけど、このリハーサルと本番の見る限り、音楽は深くなっている。

重厚な所と繊細な所の表現の対比が際立っており、そのどれもが意味が深い。

今まで思いもしなかったチャイコフスキーの弦楽セレナーデを聴かせてくれた。

小澤さんの気迫はすごい。

あの言葉を聴いて、12月のNYカーネギーでのコンサートは成功すると信じている。


■映画は『眺めのいい部屋』とアンゲロプロス監督の『霧の中の風景』と『永遠と一日』に感銘をうけた。

こうした作品を観ると、映画による人間表現の余白はまだまだ広大にある、というような勇気をもらえる。

邦画やハリウッド作品だけだと、その反対で、映画はもう限界に達しているのでは?と絶望的な気持ちになるのだが。

なにも観客を大感動させなくちゃいけないことなどない。

CMを見ていると、大スペクタクル、硬い友情、深い夫婦の絆、命の危機からの奇跡的な脱出、といったガチャガチャしたものが見受けられる。

それはひとつの表現であるから否定もしないし、おもしろい場合もある。

ただ、そういうのばかりに接していては、人生を見誤ってしまう。

実際生きていると、そういう場面もなくはないが、大半の時間はもっと違う人生を生きているものだ。

その部分にも共感できる大切な要素は多く隠されている。

アンゲロプロス作品を観ていると、そういうことに気がつかされる。

それに本当に大切なときってそういうガチャガチャやハラハラドキドキしたときじゃなく、なんでもない静かなときにふと考えるとこや、何の気なしに行動しているときなんじゃないか、とおもう。

少なくとも、人には静かにゆっくりと長時間かけて考えていないと、自分ではなにもやっていない人生と同じことだとおもう。

何気ない表現方法もよかった。

幼い姉が、旅の途中でトラックドライバーに強姦させられるシーンでも、生ナマしいシーンはない。

あとで、そっと自分で触って手についた血をじっと見つめる。

このときの表情・・・

この方が彼女のいろいろな心境を観るものに伝える。

ある意味とてもショッキングなシーンだし、脚本的にもこの方が優れている。

大いに勉強になる映画だ。