
『真昼の電車』
♪昼間の電車は空いていた。
時間もゆっくり流れているんじゃないか。
でもシートには出荷直前といった肥えた男たちが三頭、ゆうゆうと座っていた。
みんな一生懸命ゲームにこうじている。
カチカチという操作音が電車の音に混じって聞こえてくる。
彼らは、一生懸命なのか、暇つぶしなのか、見た目ではわからない。
判断はむずかしい。
なぜって彼らの表情は乏しいのだ。それもかなり乏しいのだ。
目なんかはまったく精気がないし。
トロンとしたその目でちゃんとゲームの画面を見ているのか?
ゲームの中の敵をちゃんと殺せているのか?
表情のとても乏しい肥えた三頭。
ボクはそういう乏しい表情なんか見たくはない。
自分が乏しい表情の一員にならないように気をつけているんだ。
そのせいか、近頃のボクはやたらと目つきが悪くなってきた。
目つきが悪いヤツの一員になってしまった・・・♪
って歌詞っぽくないな^^;
■この国ではゲーム立国とか言われてゲームを過大評価しているように見える。
でも近頃の日本人の“気力のなさ”をつくっているのは、この持ち運び可能ゲームも要因の一つだとおもうんだ。
ゲーム自体はそれほど悪いもんではないが、いつでもどこでも出来てしまう、ってのが落とし穴。
人って暇な時間をどう過ごすか?によるとおもんです。
暇な時間を勉強にあてるか、読書にあてるか、ゲームにあてるか、そこは自由。
でもないものはできないから、仕方なく本でも読んで時間をつぶすか、ってなるところを、ゲームがカバンにあるからゲームをやる、となる。
(あと、携帯でゲームをやっている人も多いよね)
だからアレはない方がよかったんじゃないか。
そういう検証というか“立ち返り”ってなかなかしないよね。
経済が発展さえすれば人間性は堕落してもいいという国だからさ。
あと、動きや画があまりにリアルだと想像力も養えないしさ、技術発展も怪しいものだと完全に疑っている。
もう必要以上の発展になっている気がするもの。
人にとっての有益な技術発展レベルってとっくに過ぎ去ってしまって、現在は余計で過剰な技術発展と闘っている気がする。
だから子どもに言ってきかせている。
「便利にはあまり良くない場合があるんだよ」って。