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■この閉鎖的な人間関係ってのは、このカイシャだけの現象なのか。他もそうなのか。

先週「たまには部の飲み会でも出ないとマズイかな」ってことと興味本位から出てみたんです。

小ぶりで結婚式もできる会場。

しょっぱなからすごい!

座席は、グループ毎のいつも顔をあわせている連中というのが暗黙の了解らしく、ぜんぜん違う席に座っていたおれは呼び戻されることに。

それぞれの円卓にはグループの面々が陣取り、まるでなにかから避難してきたかのような顔をしてあたりを伺っている。


世界の中の日本・・・
日本のなかの1つの地方・・・
地方のよくある平凡な中小企業・・・
平凡な中小企業の1つの部署・・・
小さな一つの部署の中の1つのグループ・・・

彼らの見えている全ての世界は“1つのグループ”みたいだ。

この偏狭な視野。弱小な仲間意識。なんなのだろう、これは。


せっかく知らないメンバーと話せるチャンスだから、あえて知らない人ばかりの席を選んだのだが、これでは意味がない。部の宴会の意味がない。


司会者も決められている。入社2年目の若い連中だ。

でも、そうするように教えられたのか、お堅い結婚式のようなガチガチの敬語。決まりきった台詞。笑いは一切なし。

「おいおい。お客さん相手の催しじゃないくて、気さくな仲間内の飲み会じゃないのか」と、同情しつつも呆気にとられる。

この時点で「これはきついな、早く出てー」とおもうが、どんなことでも人間の勉強になる、もうこりゃ観察しかない!と前向きな考えをもつことにして、周りの連中を観察することにした(笑)


みんなボスの話をちゃんと姿勢を向けて聞いている。偉い。従順だ。よく飼いならされている。表情はない。無表情だ。

だが、笑うべきところではみんな一斉にしっかり笑う。「爆笑」のカンペでも出てるんか。実に統制がとれている。北朝鮮のマスゲームの風景が頭をよぎった。

たいしたものだな。おれみたくキョロキョロしたりして統制を乱すヤツなんかはいない。


“このとき、彼らの心のうちではなにを思っているのだろうか”

まさか「あ~、ありがたい話だなぁ」なんて全員がおもってやしないだろう。

ではそうはおもわない連中はこの状況をどう考え、なにかの行動にでたりしないのだろうか。



最近、街を歩くときや電車のなかで、人の目と口をよく見るようにしている。

この2つは人の心情をよく伝えてくれ、心理状態がわかっておもしろい。


この時もみんなの表情を読み取ろうという意識でみてみる。

酔って心底愉しいとおもう人もいるし、これは我慢しているな、と思われる人もいる。

表情はさまざまだけど、行動には差がない。無難にこなしている。

いよっ!さすがはニッポンのサラリーマン!ヒューヒュー!無難にこなす技がないとこの家業をやっていくことは大変だぞぉ!!あ~、そりゃそりゃ!


で、宴はじょじょに賑わいをみせてくる。

この部署はなぜか昔ながらの飲み方をやり、なにかにつけて壇上で一気飲みをするのだ。

古き良き昭和時代。高度経済成長期はこの一気飲みの勢いが支えていたと言う説が・・・あるわけないよな。

「おれも昔は率先してそっち側にいたっけなぁ」と苦笑いしながら彼らの喧騒を眺める。



そうしているうちに、ふと気がついた。

“おれはその頃とだいぶ変わった”と

虚勢をはってムリに声を出す必要も、愉しさもなくなっている、実にクールになってしまった。

クールというかもう“やりつくした感”があるからかもしれないな。

もうそれはいいや、飽きた。いまは違うことにおもしろみを見出すようになっている、って。

いづれにしても人間は時とともにちゃんと変化していくものだ。

成長か後退かはわからない。そもそも人の変化というのはそういう尺度のものではないのかもしれない。



それと、なにかにつけてワイワイ騒ぐ我々を会場の従業員はどうみているのだろうか?気になった。

従業員の表情からは、どこか否定的な色がうかがえた。

どっちかと言えば迷惑そうな。「あなた方はまだそんな宴会をなさるんですか?無邪気でいいですね」という皮肉も聞こえてきそうな、顔をしている。

従業員がそんな表情をしては本来いけないのだろう。

お客さまにそれを悟られるようなことがあってはならない。本人達はそのことは重々承知している。普段はそんな顔はしないですよ。でもいくらなんでもこの宴会では営業スマイルすら出せないですよ、ってそんな勝手な想像をしたりしていた(笑)


それにしてもこのすごい空気だ。

次第にいたたまれなくなっていった。それでも予定時刻の2時間はいた。ここまでいれば立派に勤めは果たしただろう。

ってことで、延長戦に入りそうなので、周りの連中に声をかけて途中だけどその場を出ることにした。


1階ロビーでは気を抜いていた従業員がおしゃべりに昂じている。

おれの姿をみてちゃんとしたけど、そんな必要はないですよ、と内心思いながら外に出た。


こういうときの外の空気は実にうまいものだ。

でもこの胸のモヤモヤを抱えたまま帰ることはできない。

さて、これからどこに行こうか、と歩きながら思案する。

そして思いうかんだのが、都内のイングリッシュバー。ここは1人でも立ち寄りやすい。

登りの電車は空いている。開放感に拍車がかかる。


イングリッシュバーの店内はけっこう繁盛していた。

喧騒は喧騒でもさっきの喧騒とは違う。すっきりしている。

だれか話し相手でもいないかとおもったけど、ひとりで来ているヤツはいなかった。


ほんとは外国人と話したかった。

あまりの閉鎖的環境にいたからその反動の気持ちもあって、考え方が極端に違う外国の方と話しかたったのだ。

おれは英語はまったく不得意だけど、語学力はどうにでもなるものだ。


仕方なく、ひとりで飲むことにした。

さまざまな環境を背負った人々の飲んでいる姿を見ながら、ルービーを飲んでいていた。たまに店員のあんちゃんと話しをしたり、小一時間はいただろうか。

気分はすっかり落ち着いていた。


そこで考えていたことは、なぜあそこまでガチガチの閉鎖的な環境があの会社にできあがっているのか?

疑問も感じる人もいるだろうけど結局はあそこに呑まれていく勤め人たち。

でも、環境に呑まれていくのは人間の自然本能だし、考えれば不思議なことではない。

そうやって幾多の環境や時代の変化に適応してきて、いままで生きながらえることができた立派な能力の一つだ。


でもあの不思議な空気におれは適応できそうもないんだよね。

アウェイの中でこの先も仕事をやっていくことはしんどい。

いかに仕事と私的個人にメリハリをつけることに理由とポリシーをもっていても、周囲の連中はそれを認めてはくれないだろう。そことの調整や闘い。


まあしかし、これもすべては人間の勉強なのだ。

なにごとにも抜け道は必ずある。

考えてみればここは貴重な“現代日本”という生きたサンプルではないか。

うまく接してよく観察していけば地方リーマンの実態が垣間見ることができる。

作品に活かせること間違いない!

だから今のままがんばって働いてやっていこう。


それにしてもおれもこの会社と同化していればラクなのに、とチラッとおもった。





※この話しはフィクションではありません。

おおいに笑っていただくためのコメディーでもあります^^


じゃんじゃん