■フランスとカナダで製作されたグレン・グールドのドキュメンタリーを見たんやけど、
改めて彼に興味をもったね(これを見てグールドに興味がわかない音楽好きなぞいるのだろうか?)

映像で観るとわかるけど、実に不思議で魅力的なお人やわ。

あの独特な演奏法に、なんというか、奇異と真摯な姿勢を同時に感じるんや。

極端に低い椅子にすわり、腕をうえに上げるようにして鍵盤を弾く。ペダルはちゃんと踏めとるんか?なんて心配になってしまう姿勢。

もちろんそれが彼のいちばんの格好やから、不自由しているようには見えないのやけど。


ここではいろいろ書かへんけど、もうむっちゃおもろかったわ。

で、その余韻のままルービー&MUSICがしたくなって、選んだCDがトスカニーニ。

グールドでなく、トスカニーニのロッシーニになっちゃうところがよくわからないのだけどさ。


んで、ここに収められている“セビリャの理髪師”には心底まいっちまった。

有無を言わせない圧倒的な力強い音楽にあふれとるんや。

トスカニーニのキッパリとした専制君主のごとき厳しさ!のなかに濃厚な叙情性がうずまいておる。

ワシャーはなんども同じ箇所を聴きなおしましたわ。

ほんでルービー飲んでたさかい、感情がじょじょに高まっていきよってついに爆発するんや!

ときに人間(ワシャー)は感情を抑制しないで開放させてやる必要があるんや。でないと身体に悪い。

こうした音楽はそれにうってつけ。

しっかし、こうも感情が爆発できる音楽ってのは案外少ないものなんだ。

気ぃついたけど、それは今のような民主的で良好な指揮者と楽員の関係における演奏より、独裁者のような、「しのごの言わずオレの指示に従え!」的な往年の大指揮者と楽員の演奏に多い。

多いって、感情の開放(トランス状態)に導いてくれる圧倒的な演奏のことやけど。


ムラヴィンスキーとかクライバー、トスカニーニなどは時には厳しい言葉を楽員にぶつけることもあるみたいで。

その高い緊張状態がオーケストラ内に蔓延する。

「マエストロの欲求になにがなんでも応えなければならない。失敗は許されない。でないと、オレは、今日どんな目にあうかわからない・・・」

緊迫した演奏は、やはりすばらしいのだろう。

なにも現代の演奏が気が抜けているというのではない。

違う種類の(恐怖に似た)緊張感が楽団員にあった方が、演奏が半端なく高揚するのではないか?ということ。


それか、厳しいだけでなく、人間的にとても高貴で尊敬しないわけにはいかない指揮者。

たとえばフルトヴェングラーのような人物が振ると、楽員から自発的に期待に応えようとする感情がうまれる場合もある。

フルトヴェングラーのあの演奏。


どちらにせよ、指揮者の尊敬すべき人間的オーラとか、恐怖政治のようなとんでもない厳しい状況があって、オケのメンバーの心が気をひきしめて、強く動かされ、連鎖が連鎖を生んで、名演になる。

そんなこっちゃでありまへんかね。



■さて、政治はまたひっくり返った。

毎回選挙の時には頭を悩ますけど、今回ほどではなかった。

もうすっかり政治家の言葉はその場かぎりの都合のいい実のない発言にしか聞こえなくなってしまい、どの候補の主張もまったく心にとどかない。

そんななか、投票所の狭いボックスで、氏名や政党名を書くのは大変なこと。

早急に成果を目に見える形で出さなければならないこの国においては、きっと毎回選挙のたびにこんな風にいったりきたりするだけだろう。

このメンバーでは泥沼状況は当面つづく。


TVだってあんなにすべての局でやることない。

どの局も候補者に同じことを聞く。聞くというか、エンターテイメント的なさらしあげ。

答えるほうは、責任があると思っているから、その場を体よく収めなければいけないから、体裁のいい答え。

またその体のいいだけの発言が“公的な言葉”となって、あげ足取りの連中にバッシングされる。

もっと落ち着けって。

視聴率がほしいのなら、このときこそ違う番組でもやれば数字とれるんじゃないか。

この混沌にはメディアも加担しているとしかおもえない。