■音楽でも映画でも自分にとっての“本当のホンモノ”に、近頃接していない。渇望感。

この渇望感は、実生活でも、どこか空虚な毎日になってしまっているからかもしれない。

“本当のホンモノ”に接したい・・・

心の底で、重量感のある、決定的な衝撃を実感する出来事・感動に打ちのめされたい。

それしかないのでは?とおもえくる。

クラシック演奏会でそういう体験はなんどあっただろうか。

たぶん3回くらいしかない。映画だったらもうちょっと多いかな。

“いま”を破壊できるような、そんな強烈な雷に打たれたい。


でも、よく想うんだけど、こういう“カミナリ体験をしたい!”というようなことは自分から積極的に動いて求めるもので、他力を待つばかりでなにもしないのは駄目。

結局は自分次第なんだ、ということは分かっている。


あと、音楽で言えば、モダンジャズのセロニアス・モンクもよく聴く。

音楽好きのダチコーに録音してもらったんだけど、聴いていると妙に落ち着いた気分になってくるんだ。



作品の分析や批評ってのも近頃は煩わしい。

マネの特集番組をNHKで見ていたんだけど、途中でやめてしまった。

あんなにたくさんの細かい分析をされてしまうと、実際のその作品と対面したときに“自分で観ていないことになってしまうのでは?”と恐れたからだ。

芸術というのは、自分の感覚で真正面から挑まないと意味がないし、おもしろくない。

分からないなら分からないで一向に構わない。

おれもよく美術館に行くけど、ものすごく衝撃を受けた絵というのは少ない。

だいたいは「おお、いい感じだな」とか「ふーん」っていうくらい。

それでいいとおもっている。

その人にとって、ピカソだから、ゴッホだから名作だ!ということは絶対にない。

受け手がその傑作ぶりを分からないのであれば、仕方がないこと。

その人の中にその良さが分かるモノがないだけなのかもしれないし、後々になって衝撃的な感動に変わるかもしれない。

一生分からないこともフツー。人によって感じ方はまちまちなのだ。

「なんかよくわからんが、いいな」っていうアバウトな感覚も大切なこと。


いちばんもったいないのは分かったフリをしてしまうこと。

誰かの評の影響で、分かったような納得をしてしまうことほどもったいないことはない。

「私にはよくわからない」という発言を日本人はあまりしない。



■さて、スガシカオさん。

ニューアルバムは全体的にあかるい雰囲気。

歌詞でもサウンドでも感じることは、シカオさんの“どこかでなにかが吹っ切れたような”正真正銘のあかるさ。

それがこのアルバムの特徴。

特に『91時91分』『サヨナラホームラン』『ファンカゲリヲン』『ドキュメント2010』『台風は北北東に進路をかえ…』『軽蔑』はサイコー中のサイコー。

『ドキュメント・・・』なんてほんと笑っちゃうもの。

スガシカオのライヴ会場。居合わせた女の子を必死にナンパするラッパー(?)の物語。

このラッパー、まったく相手にされないものだからついに逆ギレしだす(笑)

「あ、わかるわかる。気に入られようとそういうふうに言っちゃうの」ってあるからね。

ヘッドフォンで真剣にこういう音楽をなかなか聴かないのだけど、このサウンドはいいね。

自分が大きくなったような気がしてきちゃう。

クラブの暗くうるさい空間を歩いているとき。日常とまったく違う異空間に、自分まで日常じゃないすっかり別の人間になりきっているような、あの勘違い。


で、早速にヒトカラいって歌ってきた。

新曲は『サヨナラホームラン』しかないけど、それなりに歌えた。

おもったけど、カラオケって歌詞を追っちゃ駄目だね。

文字を目で追っていると歌うことに集中できない。

ある程度は歌詞を覚えてチラっと確認する程度じゃないと“自分で歌っている”ようにはならない。




いやぁそれにしても、ようわからんが、テンションあがらんわ。

『ファンカゲリヲン』の歌詞に“6月はいつも、わたしおかしくなってしまうの”とあるけど、最近のおれはなぜかずっとおかしい(笑)。

この歳になるといろいろ出てくるんかね。


じゃんじゃん