■金曜夜のNHK。一人でいるのを見られたくない大学生の特集をやっていた(特報首都圏「“ひとり”が怖い」)
。
ショッキングな内容。
学食で1人でメシを食っていると、友達がいないとおもわれるから、1人じゃ食えない学生がけっこういるという。
おれの母校である法政大学の教授はこう指摘している。
大学生のそうした傾向は、精神年齢が中学生くらいの低いレベルだからではないか、と。
久々にこの学校の授業風景も放映されて懐かしい思いがしたが、当時と現在の学生意識はだいぶ違っている、ということだ。
はじめ、なにを言っているのだろうか?と分からなかった。
大学生が1人で飯が食えない??なんなんだそれは。
オレはここの学食でふつうに1人で飯を食っていた。学食の単一な味に飽きると周辺の中華料理屋で1人で食う。
別にどうおもわれるから、とかそんな意識はない。
たぶんおれ意外の誰もそんな意識はなかっただろう。
今の連中は、周囲の目を非常に気にして生きている。
自分より周囲の反応に重きを置かざるをないヘンテコな状況。
これを見て、以前書いた新入社員の過剰なニコニコ現象もつながった。
周囲に悪くおもわれたくない、という過剰な意識。
だから自己防御としてニコニコして、私は害のない協調的な人ですよとアピールする。当たり障りない付き合い方をする。
先輩から酒を誘われれば、断らず元気に参加する。
もし、そうだとしたら。
本人は本当はイヤだと思っていても断ると「なんだあいつ」と思われ、それを恐れてイヤイヤながら(でもそんな素振りは見せない)参加していたら。
そういう見てくればかりをがんばってきれいに固めているのだとしたら、本人はさぞ息苦しいはず。
それに、それでは嘘で生きている。
何に対して嘘か。
周囲と自分自身に対して、すべてに嘘だ。
でも、きっとそうしないとならない空気感があって、しないとならないのだろう。
なんと閉塞的でつまらない環境。
そこに疑問を感じている人はまともだけど、大変だ。
でもがんばってほしい。
おれはそういう疑問を感じている人の味方だ。
■大学四年ともなればけっこう図太いもので、後輩に威張ったりするし、反対に人として尊敬される年代。
当時の四年はもう完全な大人だった。
それが会社に入ったからといって、卑屈になってニコニコなんてしなかった。
する必要はない。
でも今は「おまえはどんな学生時代をおくってきたんだ?」と想像がつかないほど幼い。0からのスタートになっちゃってる。
人間関係というのは難しい。
この番組でも大学の取組みを紹介していた。
話すことができない学生の間にたっていろんな取組みをする。そうしてようやく学生同士が話をするという。
小学校の行事にそんなことがあったっけ。それを今、大学でやっている。
こうした取組みは、手段としてはいいかもしれない。
でも、それも自主的ではない。
学校からの仕掛けだ。
そうとうまずい状況だ。彼らはどこまでもレールをひいてあげないとちゃんと歩くことができないのか。
学生達だけでは解決できないところまできているのか。
こんなおかしな事態になったのは、彼らの精神年齢の低さというよりも、日本の歴史上他国の血が混じらなかったから。村根性が抜け切らないのも1つだろう。
村社会、『七人の侍』の農民のような。周りにびくびくおびえて仲間内だけでひそひそとしまう。
異を敏感に感じとって排除する。
常に仲間達だけでつるむ。
異が少なすぎるからどんどん閉鎖的な社会になってきた。
結婚式の二次会もそうかもしれない。今は決められた人しか呼ばないらしい。来たい奴は誰でも来い!ということではない。
アホらしいな、と見ていた。
でも、そうも言ってられない。
彼らは悩んでいるんだし、これがそのままこの国を形成していくとなると事態は深刻だ。
人間って、そんなに怖いですかね。
でも、たしかに無表情で何考えているだか分からん大人が多いから(むろんそうじゃない人も多いが)、それを学生が見たらこうなるのも仕方がない。
大人の人間力が落ちていることも原因の1つだとおもう。
いや、むしろ学生達が、というより大人がつくりあげた社会(結果論としても)、だからこうなっている、と見るほうが妥当じゃないか。
おれもいろんな人と話をするけど、「あ、この人おもしろい!」と感じる大人は少ない。
コミュニケーションだってちゃんと取れているかは疑問な人がおおい。人間慣れしていない。人を知ろうとしない。関心がないのか。
学生には悪いことはなにもない。むしろ被害者だ。
こんな社会をつくってしまった大人に原因がある。
もっと可能性のある、風通しのいい社会にしていきたいものだ。
この問題をよく考えるんだけど、どんどんマズイ方向にむかっているようにしか見えない。
根本にメスを入れないとなんの解決にもならない。
ちなみに人に話しかけるポイントを1つ紹介。
話したいと思った人があらわれたら、躊躇なく思ったことを話しかける。勢いで。
時間をおいて考えるとなかなかうまく言葉がでないものだ。
先週金曜夜、神田のそば屋に入った。
かけそば250円。安い。出てきたのを食べると、コシがあって美味い!
で、目の前にいたオバちゃんに「このそば美味い!」と言った。
すると嬉しそうに「ありがとうございます」って、そこから神田の街の移り変わりの話になった。
時間は短いがおもしろい会話だった。
「また寄ってください」おばちゃんは言った。
「うんまた来るよ」とおれ。
ホントに美味くい店だったので神田に来たときは寄ることにした。
考えすぎちゃいけない、でもこういうのは慣れもある。
どんどん場数を踏めば自然といろんな人と話せるようになるものだ。
。
ショッキングな内容。
学食で1人でメシを食っていると、友達がいないとおもわれるから、1人じゃ食えない学生がけっこういるという。
おれの母校である法政大学の教授はこう指摘している。
大学生のそうした傾向は、精神年齢が中学生くらいの低いレベルだからではないか、と。
久々にこの学校の授業風景も放映されて懐かしい思いがしたが、当時と現在の学生意識はだいぶ違っている、ということだ。
はじめ、なにを言っているのだろうか?と分からなかった。
大学生が1人で飯が食えない??なんなんだそれは。
オレはここの学食でふつうに1人で飯を食っていた。学食の単一な味に飽きると周辺の中華料理屋で1人で食う。
別にどうおもわれるから、とかそんな意識はない。
たぶんおれ意外の誰もそんな意識はなかっただろう。
今の連中は、周囲の目を非常に気にして生きている。
自分より周囲の反応に重きを置かざるをないヘンテコな状況。
これを見て、以前書いた新入社員の過剰なニコニコ現象もつながった。
周囲に悪くおもわれたくない、という過剰な意識。
だから自己防御としてニコニコして、私は害のない協調的な人ですよとアピールする。当たり障りない付き合い方をする。
先輩から酒を誘われれば、断らず元気に参加する。
もし、そうだとしたら。
本人は本当はイヤだと思っていても断ると「なんだあいつ」と思われ、それを恐れてイヤイヤながら(でもそんな素振りは見せない)参加していたら。
そういう見てくればかりをがんばってきれいに固めているのだとしたら、本人はさぞ息苦しいはず。
それに、それでは嘘で生きている。
何に対して嘘か。
周囲と自分自身に対して、すべてに嘘だ。
でも、きっとそうしないとならない空気感があって、しないとならないのだろう。
なんと閉塞的でつまらない環境。
そこに疑問を感じている人はまともだけど、大変だ。
でもがんばってほしい。
おれはそういう疑問を感じている人の味方だ。
■大学四年ともなればけっこう図太いもので、後輩に威張ったりするし、反対に人として尊敬される年代。
当時の四年はもう完全な大人だった。
それが会社に入ったからといって、卑屈になってニコニコなんてしなかった。
する必要はない。
でも今は「おまえはどんな学生時代をおくってきたんだ?」と想像がつかないほど幼い。0からのスタートになっちゃってる。
人間関係というのは難しい。
この番組でも大学の取組みを紹介していた。
話すことができない学生の間にたっていろんな取組みをする。そうしてようやく学生同士が話をするという。
小学校の行事にそんなことがあったっけ。それを今、大学でやっている。
こうした取組みは、手段としてはいいかもしれない。
でも、それも自主的ではない。
学校からの仕掛けだ。
そうとうまずい状況だ。彼らはどこまでもレールをひいてあげないとちゃんと歩くことができないのか。
学生達だけでは解決できないところまできているのか。
こんなおかしな事態になったのは、彼らの精神年齢の低さというよりも、日本の歴史上他国の血が混じらなかったから。村根性が抜け切らないのも1つだろう。
村社会、『七人の侍』の農民のような。周りにびくびくおびえて仲間内だけでひそひそとしまう。
異を敏感に感じとって排除する。
常に仲間達だけでつるむ。
異が少なすぎるからどんどん閉鎖的な社会になってきた。
結婚式の二次会もそうかもしれない。今は決められた人しか呼ばないらしい。来たい奴は誰でも来い!ということではない。
アホらしいな、と見ていた。
でも、そうも言ってられない。
彼らは悩んでいるんだし、これがそのままこの国を形成していくとなると事態は深刻だ。
人間って、そんなに怖いですかね。
でも、たしかに無表情で何考えているだか分からん大人が多いから(むろんそうじゃない人も多いが)、それを学生が見たらこうなるのも仕方がない。
大人の人間力が落ちていることも原因の1つだとおもう。
いや、むしろ学生達が、というより大人がつくりあげた社会(結果論としても)、だからこうなっている、と見るほうが妥当じゃないか。
おれもいろんな人と話をするけど、「あ、この人おもしろい!」と感じる大人は少ない。
コミュニケーションだってちゃんと取れているかは疑問な人がおおい。人間慣れしていない。人を知ろうとしない。関心がないのか。
学生には悪いことはなにもない。むしろ被害者だ。
こんな社会をつくってしまった大人に原因がある。
もっと可能性のある、風通しのいい社会にしていきたいものだ。
この問題をよく考えるんだけど、どんどんマズイ方向にむかっているようにしか見えない。
根本にメスを入れないとなんの解決にもならない。
ちなみに人に話しかけるポイントを1つ紹介。
話したいと思った人があらわれたら、躊躇なく思ったことを話しかける。勢いで。
時間をおいて考えるとなかなかうまく言葉がでないものだ。
先週金曜夜、神田のそば屋に入った。
かけそば250円。安い。出てきたのを食べると、コシがあって美味い!
で、目の前にいたオバちゃんに「このそば美味い!」と言った。
すると嬉しそうに「ありがとうございます」って、そこから神田の街の移り変わりの話になった。
時間は短いがおもしろい会話だった。
「また寄ってください」おばちゃんは言った。
「うんまた来るよ」とおれ。
ホントに美味くい店だったので神田に来たときは寄ることにした。
考えすぎちゃいけない、でもこういうのは慣れもある。
どんどん場数を踏めば自然といろんな人と話せるようになるものだ。