■ハンス・クナッパーツブッシュが指揮するブルックナー交響曲第8番(ミュンヘン・フィル、1963年スタジオ)

これを、目をつむって、酒飲みながら聴く、今これがいちばんいいね。

なぜ、こんなにいいのか?それは時代だ。

1963年に生きていた奏者、録音技師、その他スタッフ、または当時の建物、社会状況がかもしだす空気、すべてが50年前に取り込まれた記録。

そういう“時代”というのがいいんだ、と。

もちろん演奏自体は驚異的にすばらしい。

クナの人間性と音楽性がいちばんの功績だとおもう。


この演奏は、けっして先を慌てない。

その瞬間〃〃の音楽のよろこびを味わう。


現代の演奏が、高性能のエコカーに乗って、振動もなく、エンジントラブルもなく、スムーズに終点を目指し、時間どおり当たり前に到着すものだとする。

一方のクナの演奏は、ゆったりと歩いて、新鮮な空気を身体いっぱいに吸いこみ、美しい風景を楽しむ。終点に向かうことが目的じゃない、

と、そんな雰囲気を感じる。


今のおれは現代のものにことごとく嫌気がさしているので、こういう演奏がいい。

こういうときゃワルターやクリュイタンスもいいだろう。


■読む本は、ジョゼ以来、田辺聖子さんのものばかり。

田辺さんの描く男女はおもろい。

世間の常識にまったくしばられることがなくて、自由で、しかも普遍的な日常生活。

とてもシックリくるから、それ以外の作家を読む気になれないほど。

1Q84(BOOK3)は、まだまだ先だな。



■NHKで新入社員の先輩との飲み会参加率が上昇している、と言っていた。

いかにも現代らしい統計。

しかし、新人の彼ら、気持ちの底ではどうおもっているのかね~。

よくわからん。


ここにも毎年何人か入ってくる。

おれがここ数年見ている新人に一貫して言えることは、非常に愛想がいい、ということ。

良すぎるくらい、どんな場合でも、ニコニコする。それが基本。

悪いこっちゃない。

でもそれが必要以上にニコニコしているようにみえる。

そうしていないといけないような。

もっとフツーでええやん。

その笑顔はお客さんの前だけでいい、社内ではそれはいらんやろ。



■自分の意見というものをもたない人。

これが今の日本、どんどん増えている。まあ、昔っからそうなんだけど、ここんとこ更に増えている気がする。

どっかで聞いてきたことをさも自分の意見のごときしゃべる。

そういうものは危険性が少ない意見。

大衆が「うん、うん」とうなずくのを知っている安全な意見。

TVの有名コメンテーターが言っていたとか新聞に書いてあった程度の話。

自分の意見でもなんでもない。

そういう安全な言葉のやりとりをする。

一歩引いて見れば「俺はこれだけいま流行のことを知っている」という自慢のしあいでしかない。


そういう話ばかりするのと話していてもおもろいわけがない(それがおもしろいという人もいようが。それと、男なのに「どこどこの飯がうまい」ばっかり言われてもなぁ)

アンタの中身はどうなってんの?

ゆさぶったらカラカラと音でもするんかい?

なんておもう。


これを打開したいのなら。

同じ環境から離れる、ということがとても有効だとおもう。

知り合いの顔色を気にしないでいい、1人でいる時間で自分を養わないと、とても他人とちゃんと話なんかできない。

例えばいま目の前にギョロ目の首相がいても対等に話ができなくてはいけない。
(もっとも今のギョロ目が自分をもっていればの話だけど・・)

それと、外国の人と接すれば、彼らはおのずとそういう質問をしてくるから、日本人として深い考えをもっていないとならない。

または違う会社の人、違う土地の人。

どんどん違う環境に飛び込んで自分を鍛えるしかないんじゃないか。

内にこもって「仲良くしましょう」なんてやってる場合じゃない。

世界は広いですよー。

誰かの意見なんてすぐにバレる。

「あー、こいつどっかで聞いたこと言ってるな」って。



間違いとかないから。

正しい事なんてのはこの世の中にないんだから。

どんどんオリジナルな考えをもって大声で主張していったらいい。

正しいことはそれぞれの頭の中にしかない。

しかもそれぞれが違った形で。