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■「人生成り行きでさぁ、ね」と立川談志師匠はよくおっしゃる。似たようなことでおれは「人生は流れだよな」と、ここんとこよく考える。

自分の人生がこの先どうこうなるか?なんてまるで読めないし、読んでも仕方ないんじゃないか。

なんだかんだ言っても、自らの意思にのっとって抵抗とかしても、結局は“なにか”に乗っかって流れているだけ、のような気がするもの。

といっても大衆、世間とか、社会とか、そういう流れじゃなくて、自分の人生の流れというね、それぞれの人がそれぞれしかもっていない独自の流れのこと。

これを否定するんじゃなくて、積極的に“流れ”を嗅ぎ分けてそっちのほうに身を向ける。

そういう流れを大切にする。

そうすっと、自分がこれからどうなるんだ?とか、そんなことはどうでもいい小さいことに思えてくる。

でも、日常生活に乗っかっているとなかなか流れにそった行動ってとりづらいものだ。

朝起きて、メシ食って、電車にゆられ、カイシャいって、適度にシゴトして、帰りはルービー飲みながら音楽聴いて、歩いて、電車にのって、歩いて、晩メシ食って、家族と話したり、映画観たり、本読んだり、で、またルービー飲んで、眠る。

だいたいこのパターンになっちゃう。

そのなかで“流れ”はすぐ横っちょをかすめたり、目の前にいきなり現れたりするんだけど、注意していないと気がつかないし、気がついても面倒だからやめておこうかな、なんて消極的になっちまうものだ。

だから普段から「流れのほうにわざと乗っかる」と心がけていないと、っておもっている。

実際そうするときも多い。

今日はこっちの路を歩いてみようか、とか、なんとなくウマが合いそうだからたまたま出会った人に話しかけてみようかな、とかね。



■話はぜんぜん変わるけど、中国当局がおこなった報道規制にはおどろいたね。

こんな時代錯誤的なことをほんとうにやってしまう当局の判断は理解できないし、こわいものがある。

中国国内にいるまともで積極的に情報を入手する人々は(いろんな手段が今の世の中にはあるから)、総合的な情報により客観的に自分の国をみることができるだろう。

でも、そうじゃないほとんどの国民たちは管理下での都合のいい害のない情報しか与えられないし、特に進んで行動しようとしない(まあ、日本も実は似たような状況であるかもしれないけどね・・・)。


最近たまたま観たアラン・J・パクラ監督の『大統領の陰謀』という映画。

レッドフォードとホフマンの熱演が冴えるスリリングな作品だけど。米政府が不利な情報を押さえ込もうとするのを、二人の新聞記者が闘うというもの。ウォーターゲート事件によりニクソンが辞任に追い込まれるってヤツ。

映画のテーマは、報道の自由、言論の自由。


インターネットの網に覆われている地球において、中国の報道規制がどこまで有効なのか?

都合よく操作させられていることを知って、人々の不満はどうしようもないくらいデカクふくらみ、それが爆発したときの方が当局にとって脅威になるんじゃないのか。

そんで武力鎮圧なんてことにならなくもない。

むりやり力で押さえつけることによって、反発エネルギーがうまれ、いずれ上層部が倒される、なんてことはよく歴史が繰り返すこと。


日本人と違って中国の人たちにはまだまだ闘うエネルギーは残っている(日本人はこの辺は駄目だ。変におとなしくなってしまい、口先だけで、抵抗する力はとっくに失われている)。

結果的にこういうことは中国の国際的イメージを下げてしまう。とても残念。

でも、そこに暮らしている人々のイメージまで下げることをしてはならない。

政治と国民は似ているが決して同一じゃない。

だけど、ここを同一に考えてしまうけっこう人は多い。ちゃんとモノゴトを見ていないとならないよな。



■そんでまた話は変わるが、うちの子どもの友達の母親が中国の方で、最近かみさんと交流しているようだ。

で、このまえ、手作り餃子を作ったといって、帰ってきておれも食ってみた。

これが!これが!すっげーうまいんで感動した!

食い物で感動することなんかそうそうない。

でも、皮も具も材料からつくるこの餃子は文句なくサイコー。

作り方を聞くと、なんてことない。実にカンタン。

皮は小麦粉に水と塩を少々。具だって、よくある具だ。豚肉を中心として野菜がちょんちょん。それほどニンニクや生姜は入っていなかった。

そしてこれを焼いたり水餃子にしてパクつく。

そのもちもちっとした食感といったら、ないね。

毎週金曜日は餃子だけの晩飯にしようか、って本気で言ってるくらいだ。

意外とシンプルで身近なところにうまいものってあるものだ。



■最後に、図書館から借りてきたレオシュ・ヤナーチェク作曲の弦楽四重奏第一番『クロイツェル・ソナタ』と第二番『ないしょの手紙』、マルティヌーの室内楽(エマーソン弦楽四重奏団)。

物語性が濃く、いかにもヤナーチェクらしいなぞめいたメロディー、演奏の素晴らしさもあって、すぐに気に入った。

ヤナーチェクはいい作曲家だよ。

『ないしょの手紙』ってタイトルがいいでしょ?

たしかに作曲家自身の“ないしょ”に関する内容なのだ。


それと、ディランも最近聴くようになったんだよな。

今日と明日は東京でコンサートのようだが。




じゃんじゃん