
自筆譜からモーツァルトを読み解くという、先日のNHKハイヴィジョン番組はとても興味深い内容で、人間味あふれるモーツァルトの姿を紹介していた。
譜面には頭に浮かんだのを書きていくだけで(それまでに頭の中で完全に音楽が完成している)、書き直しが一切ないと言われており、人間の領域をとっくに超越している、というイメージが一般である。
でも自筆譜からは、フツウの作曲家に見られるような作曲時における苦しみや葛藤、書き損じが見ることができる、という。
いつのころからかモーツァルトの音楽にはふかい悲しみが同居していることに気がついた。
それに気がつくまでは、モーツァルトは神のような天才音楽家であって、どこか近寄りがたい、高貴すぎるという印象で、あまり好んで聴かなかった。
でもそんなことはない。もし本当にそれまでの定説どおりの超天才で、スラスラと苦労もなく音楽を書いていたのなら、あのように心をうつ音楽はうまれなかっただろう。
苦労なくして、人の心にとどく作品なんかできるわけがないのだから。
この番組からまた一歩、人間モーツァルトに近づき、親しみをもって聴くことができる。
で、この連休はモーツァルトのシンフォニーを聴いていた。
ワルターがウィーン・フィル定期で演奏した『プラハ』交響曲(1954年)。
ピリオド奏法よりもモダンオーケストラ、特にウィーン・フィルのふくよかで厚みのある響きがいい。
■映画では『ジョゼと虎と魚たち』が印象につよく残った。
邦画をこんなに集中して観たのは久しぶりかもしれない。
奇麗ごとで片付けるようなことはしない現実的な内容に共感した。
一点、中盤のジョゼが主人公(妻夫木君)に心を開くシーンだけは、なぜか冷めてしまった。
自分だったらもっと間接的(あいまい、自然に)にするか、その反対の極端に激しく描くだろう、とおもいながら観ていた。
それでもすごくおもしろい映画であることには間違いない。
今週は仕事帰りに『ハート・ロッカー』でも観にいく予定。
映画はできるだけ劇場に観ようとおもう、劇場だと集中度が違うし、なによりも映画館での上映ありきで作られている。
今週末からの日比谷での黒澤明監督の全作品上映もできるだけ行きたい。
特に『七人の侍』をひさしぶりにスクリーンで堪能したいものだ!
じゃんじゃん