
初日の人間ドックは午後のはやい時間にはおわり、「さあ、これからは自由だぞ!」と思ったら自然と気分が軽くなって、あかるくなった。
仕事とも家族とも離れて自分ひとりだけでいられる時というのは、今のおれの状態だとそうそう持てるものじゃない。
自然な形で呼吸が深く、落ち着いている状態というのはやっぱりサイコーだ。
この前までどこかに逃げていった“やる気”と“元気”の奴等はいつのまにか帰ってきやがった。
二日ともよく歩いた。
そのせいか飯がうまかった。「ご飯って、こんなに美味かったっけ?」なんてかみさんに言ったら笑っていたけど、驚くほどうまかった。
■昨日の午前はTOHOシネマで映画を観る。往年の名作を観るというとっても画期的な企画!
今週はロブ・ライナー監督『スタンド・バイ・ミー』
これはたしか学生の時にロードショウで観ていたはずなんだけど、見事に忘れていてよかった。
なぜって、新鮮な頭で始めっから楽しめるからね。
“PG12”の規制付。
当時はさほど問題でなかったであろう子どもの喫煙シーンが冒頭から頻繁に出てくるのだ。
このシーンを観たとき「いいねえ!」と心のなかで飛び跳ねた。
映画はある意味社会への反逆的なものだ。
現在、喫煙には異常なくらい悪者のレッテルが貼られている。この“反社会的な行為”をこうしてスクリーンで観ることができる爽快さ。
ディズニー映画だったかな。「タバコを吸うシーンは今後登場させない」なんて宣言している。
なんだその優等生的発言は?たんなる企業のイメージ戦略じゃないか?とおれはおもっている(まあ、一歩引いてみれば、これは社会的責任ってヤツと芸術との関係の難しさだろう)
そういう想いだったから、このシーンには拍手喝采。もっと吸え吸え!って(笑)
(ちなみに俺はタバコを吸ったことはない。吸おうと思ったことも一度もない。友達が吸っているのを見ても、なんとも思わなかった。あっちはあっち、おれはおれだ)
そう、喫煙シーンがいいのではなく、がんじがらめな現代社会への不満、その対抗として見えたから爽快にうつったのだろうね。
それにしてもこの映画、おもしろかった!
こんなに傑作だったっけ?とびっくりするくらい良くできていて感動した。
人物描写がじつにうまい。それぞれいろんな“かせ”を抱えて生きている。特に主役二人にはかなり共感した(一人は若き日のリバー・フェニックス!)
有名な鉄橋を渡るシーン、結果は分かっていてもヒヤヒヤドキドキだ。
それに個人的にこのシーンは“実践”していたからね。
あのとき貨物列車がとおるJRの鉄橋だったら今のおれはこの世にいなかったかもしれない。
そういった内容もさることながら、もうひとつ嬉しかったのは観客の反応。
平日のこの時間にもかかわらず場内はかなりの入りだ。
しかも、みんなじっくりと見入っている(雰囲気でわかる)
エンドクレジットがぜんぶ終わって場内が明るくなってもなかなか動こうとしない人々。
やがて無言で席を立ち始めた。
誰かと来ている人でも考え深げでしゃべらない。
しばらく黙っている。
人は感動しているときはこういう反応をするものだ。自分のなかで感動を反芻していてすぐにしゃべる気にならない。
マーラーの交響曲第9番の実演に感動した人は、即座に拍手なんかできない。それと同じだ。
こういう反応は最近では見られないから、映画のもつ力の再認識になってとてもうれしかった。
これからTOHOシネマではS・マックイーン主演作品やワイルダー、チャップリン、キューブリック、デイビット・リーン監督作品などを順次上映する。しかも1,000円!
今回だけで終わらせて欲しくない、ずっと続けていくべきだ、お客さんだってこういうのを求めている!
もっと心の底から感動したい、そして心豊かに生きてゆきたい!とおもっている人は多いんだ。
映画会社のみなさま、ぜひともこういう素晴らしい企画をお願いします。
いまの時代にはとても意義あることですから!
■さて、そのあとはなにも決めないで流れのままに過ごした。
まずは赤坂のホテルのロビーで物語を書いて(ロビーはモノゴトを考えるには最適な場所なのです)、やがて区切りがついたら街を歩きたくなった。
いままで通ったことのない道(路地)を選んでぶらぶら歩く。
表通りとはちがって、そこには気取らない人の生活があるだけ。
なんてことない風景だけど、こういうふうな景色はいいね。
表通りにはない味がある。
もうだいぶ歩いたころ、246にでた。いつもの南青山界隈。
“ながれ”で歩いているつもりでも行きたいところに向っていたのかもな。
最近、この“ながれ”を大切にしている。
くまさんは口癖のように言っているけど(「ボブさん流れですよ、流れ」って)、その場あたりの展開ってのはおもしろいし、本当は意味があることなんじゃないのか?
ABCで立ち読みした養老猛司さんと久石譲さんの対談本。
音楽について語りあっていたが、映画界にもぴったりと当てはまる内容だった。
作り手と受け手の関係の話。
おれも映画界においてかなり破滅的状況にあると心配している大きな問題。
今の一般的な観客は安直で手軽なものを求めたがる、創る側はその観客を意識して浅いものを創ってしまう。
その結果どんどん映画の質が低下していくという負のスパイラル状況にある。
これはどうにかしないといけない。
それと影響の話。
人はどうしたって環境に左右される。
おもしろかったのは、ロンドン交響楽団の奏者が在日のオケに混ざると、はじめはロンドン響の個性がでるが、そのうちその奏者は在日オケの環境にのまれていくだろうという件。
そうだよなぁ。
すごくよくわかる。
あらゆる組織でも、昼も夜もおなじ環境の人と接していると、そこにいる人々は同化させられていく。
“出る杭は打たれる”という日本特有の体質も手伝って、「はみ出す人間はゆるされない」という風土がいまだにある。
闘うのは疲れるから結局ラクな方向に流されてゆき、みんな同じ顔つきになる(これがその会社の個性ということになるのだろう、そして不思議とどの会社も違うものなのだ!)
新入社員は一年も経たないうちにみごとに個性が削ぎ落とされる(これは調和とも言い、組織では必要な部分でもあるが。いや、個を個として大切に扱う優れた組織だってある、その反対になんでもかんでも同調を突きつける駄目な組織もあるが・・・)。
でもそれは、その人が良いとか悪いじゃなくて、同じ環境にいれば仕方のないことでフツウなのだ。
でもおれは変な人間だから、そうなることにずっと危機感をもっている。
そうだから、アフターは会社の人からスッと距離をおく。
こういう意識なのははっきり認識できないけど、あれかな。
ひとつの組織に染まるということは、つまらない人間になるように思えてしまうから、かもしれない。
つまらないというよりか、未来の可能性がそこでぜんぶ摘み取られていく、この先はなんもありません、あなたはここでおしまいです、と言われているような絶望感に似た気持ち。
染まるということ自体に抵抗感がある。それはどんなに良い組織であっても染まりたくはない。すぐに飛び出してしまう。
そんな感じかな。
だから、どんどん外との接点を求めていまだに積極的。実際、いろんな環境とその人達と接することは刺激がたくさんあって活性化していく。
こういうことするのは、幸か不幸か、もう昔っからの性格だから仕方がないとあきらめている。
で、この本。こんなにも共感に満ちているからすべてを読まずともすばらしい内容だということは分かるような気になって、買わなかった。
あまりにドンピシャな本って買う気がおきないものなんですね(笑)
じゃんじゃん