
こうしてゆっくりCDを選ぶのは久しぶり。見ているとどれも聴きたくなってくる。
選んだのはW・A・Mozartのプラハ交響曲(ニ長調K.504)。
ショパン・イヤーだけど、とても年頭からショパンを聴く気にはなれない。ここはいっちょ明るいモーツァルトのシンフォニーで幕開けとしよう!
スコアを眺めつつラファエル・クーベリックが指揮するバイエルン放送交響楽団の演奏(オルフェオのライヴ)に集中する。
堂々たる序章。これが聴きたくてこの曲にしたようなものだ。
以前だったらここを飛ばしてアレグロから聴いていた。
でもなんともったいない聴き方をしていたのだとおもう。こんなに充実したすごい内容の音楽を飛ばしていたなんて!?
全楽章、おどろきと幸福感とともに聴きとおした。
音楽を聴いていて良いことのひとつに、ものすごい幸福な気分になれるということがある。
コンサートでなくてもCDを集中して聴いていると、幸福な瞬間がおとずれる。日中、まったく良いことがなくても音楽で幸福な表情になれるのだから、こんなにいいものはない。
さて、現在までのクラシック音楽では作曲家とその楽譜は絶対的な存在になっている。
演奏者ができるだけ作曲家の心情に迫ろうとする動きは相変わらず盛んだ。
そしてそこにはアレンジはない(一部はあるが)。
これが映画の場合だとだいぶ違う。
黒澤さんのオリジナル脚本の色を変えて、リメイクされたりする(それは原作を超えることはないのだけど)
オリジナル脚本に絶対忠誠ではない。
この動きがクラシックにないのはなぜなんだろうか。
たまにはベートーヴェンの楽譜を指揮者が大きくアレンジする、歓喜を悲劇的な結末にしてもいいんじゃないのか、と考える。
観客A「今日のコバケンの解釈は斬新でおもしろい!現代版ビロード革命だよ。こっちの方がアタシは好きだな」
観客B「いや、あれはやりすぎだよ!それより去年の“消えゆくアダージョ”の方が心にきたなー」
とか言いあったりして(笑)
そのうち新解釈の過剰競争になっちゃって、原作:モーリス・ラヴェル、編曲:ピエール・ブーレーズ、なんてのが当たり前の世の中に。
でも、これこそおもしろくないな、そうなったらクラシックは絶滅してしまうかもしれない。
軽くて陳腐だ。そんなものは聴きたいとはおもわない。
おそらく、200年も前の作曲家が書いたスコアを現代に生きている人間は(ある意味でだけど)超えられないだろう。だからアレンジするとおもしろみがなくなる。
いや、それ以前に“完成作品”に手を加えること自体が間違っている、ということだろうね。
だから今の作曲家絶対主義は崩れてはならない。
現存するスコアのなかで如何に“解釈”を見出すか、それこそがクラシックのおもしろいところだものな。
■さて、新しい年がはじまりました。
2010年。切れのいい数字です。
なんでも好きなことをやり遂げるにはタフでなければならない。
年のはじめ、このことをとても意識している。“タフにならなければならない”と。
そう思いつつ、このまえ本屋さんで選んだ本は、村上春樹さんの『海辺のカフカ』
これは15歳の少年が家出をする話なのだが、この少年もカラスと呼ばれる少年に「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年にならなくちゃならないんだ」と言われ、その意味を理解し決意していた。
おれとこの15歳の少年の気持ちはちょうど似たようなものだな、と嬉しくなった。
では、今年もそんな感じでよろしくおねがいします。
今年も厳しい時代です。なおさら元気にいきましょう!
じゃんじゃん