■この国の12月は忘年会シーズンとなっている。

これは日本特有のことなのだろうか。海外でもBOUNENKAIと称して西洋人が赤提灯なんかくぐって熱燗とか飲んでいるのか?おでんをはふはふさせながら。

なんてことはないだろうが、日本のリーマンやOLは飲み会がかさなって疲れもでてきてさぞ大変だろうな。

昨日同僚と話していてその人は今週末3連チャン飲みで大変だという。

「どんなメンバーなの?」と訊くと、すべて会社の人たちで「○○線(○○駅)の会」とか「○○大学の会」とか「有志で飲む会」とかの忘年会で、いずれも定例らしい。

「そんなに毎回カイシャの人たちと飲んでおもしろいの?」と尋ねると、「いやぁ・・」なんて苦笑いをしている。

まあそこそこ楽しいのだろうけど、やたらとよくしゃべる上司の話を聞かなくてはならないめんどうくささもあっての「いやぁ」なのだろう。

でもどっちかと言えばめんどうなのだとおもう。気をつかったりして愛想笑いをしてるんだろうし、終電の時間が近づいてもいっこうに帰る気配さえみせないんだから。


だったらいかなければいいのに、とおもう。


もっと楽しいことなんて世の中たくさんある。出会いがないというのなら自分が求めてないだけ、求めれば交友関係はじゃんじゃん広がっていく。

そのうち本当に自分と合う人に出会うし、そういう人たちと過ごした方が有意義だ。

せっかくのアフターファイブの時間がもったいない。

楽しまないと人間しぼんでいっちゃうぜ。


ここは日本人の不思議なところだろうね。

カイシャとそれ以外の境界線がはっきりしていないからこその光景だ。過大にカイシャを意識させられている。なにせ同調圧力の強い国だ。それに近年この動きはますます強くなっているし。

でも、なんども言っていることだけど、自分の歩きたい道をすすむべきだ。自分の意思を押しとおすべきだ。自分に意思があるならば、だけど。

こういうことを言う俺もたまにはグループ忘年会に参加してみようかな、とおもったんだけど、やっぱりやめることにした。

気持ちが出たがらないのに行くのはやっぱりばかばかしい。


■結局かずみ君に勧めたCDはこの前買った。

バルシャイ指揮ケルン放送交響楽団のショスタコーヴィッチ交響曲全集とベームのロマンチック。

気分が落ち込んできるときにショスタコーヴィッチの勇ましい音楽を聴くとはっと目が覚める。

第7番『レニングラード』第2楽章の4分過ぎのオーボエの世界が傾くかのような危ない旋律から始まる全軍出動!!みたいな金管と打楽器の最強音は、震えるほど感動するし勇気がわく。

ここはバルシャイ盤よりもハイティンク盤(ロンドン・フィル)の方が底力あってすばらしい。

毎日聴いている。最近はショスタコ漬けの日々だ。

外でもMDに録音して持ち出して聴いている。


そういえば酔っ払ってなくしたウォークマンを買いなおそうかとおもっていたけど、MDの方が自分にあうのでやめた。

データを入れる今タイプの携帯再生機は疲れる。

何曲も録音できて小さくて手軽なんだけど、曲を選ぶということは案外と疲れることなんだ。

MDはせいぜいCDでも2枚くらいしか入らない。

そのMDを2、3枚持って出かけるのだけど、それくらいでちょうどいい。

情報をつねに持っているというのはストレスになるんだ。

だから俺はMDでいい。

携帯電話だって本当はもちたくないくらいだもの。

いろいろ持っていると物事が考えられない。

カバンにはMDと文庫本数冊とノートとペンしか入れていない。


それと最近すっかりめがね生活になっているんだけど、これも好都合なんだ。

めがねを外すと周囲がぼやけてよく見えない。

見えなければ見ることにパワーを使わないので、自分の世界に閉じこもれる。

外でカフェとかにいるとめがねを外す。そうすると本や書きものに集中できる。見たいときだけめがねをかける。

道を歩いているときでも人が多きところでは外す。

人ごみでもそんなに疲れないでいい。でも知り合いにあっても気がつかないという点もあるけどね。


明日は今年最後のコンサート、小澤征爾さん指揮新日本フィルでブラームスとプロコフィエフ(サントリーホール)

コンサートはだいたい一人で行っていたけど明日は音楽仲間と一緒。楽しみだ!



じゃんじゃん!