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■ゲルギエフ指揮マリンスキー歌劇場管弦楽団によるロシアの作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィッチの演奏会。

12月1日(火曜日)午後7時ちょい過ぎから9時40分まで。

東京赤坂サントリーホール

ギリでホールに着くと曲目変更のお知らせ。

オペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』抜粋が、ピアノ協奏曲第1番に。

やったぜ!この曲すきなんだ!

第3楽章はものすごく悲痛なメロディーなのだ。それが心にグサッ!と刺さる。最近よく聴く曲なので、この変更にはエキサイティングだ。

ピアニストは98年のチャイコフスキー国際ピアノコンクールで優勝した気鋭のロシアの青年。

ものすごいスピードで弾いていた。疾走するピアノと弦とラッパ。

うまいね。馬すぎる。ヒヒーン!だ。

この日は重量級のメニュウ。

交響曲を2曲(1、10番)と協奏曲と、歌劇「鼻」からはパーカッション軍による勇ましいファンファーレ。

彼等はほんとうにタフな連中だ。

おかげで俺はたっぷりとショスタコの世界を堪能することができた。


それにしてもショスタコーヴィッチの音楽はショッキングそのもので、まるで大事件の現場に今まさに立ち会っている立証者!のような気持ちになる。

それがショスタコの音楽を体験する醍醐味でありおもしろさなのだ。

聴くなどという小さなレヴェルではなく“体験する”、もしくは“浴びる”といった方がいいだろうな。

しかし、ゲルギエフの指揮はそういった点ではもの足りない。

圧倒的にうつくしく深遠な表現であり、ダイナミズムも幅広く、キレのいい颯爽とした演奏でとても満足なのだが、聴いていて気持ちの変化があまりないのだ。

もっとめちゃくちゃな感情になりたかった。

俺んなかの人間がぜんぶ入れ替わってしまうような、そんなとんでもない経験をしたいとおもっていたから、もの足りなさを感じてしまった。

そもそもそんな演奏があるのか?

あるとおもう。

ショスタコで、ゲルギで、マリンスキーだったらあるかもしれない!という期待をしていたもので。


それと、以前はあまり好まなかった緩叙楽章。

最近はすっかり緩叙楽章の方をよく聴くんだけど、そのゆったりと静かな響きのなかで、自分の魂が共感していくのがわかる。

この緩叙楽章には、ともすれば精神分裂気味の旋律が、美しさの背後にそっと隠れて存在している。

そういうのがたまらなくいい。

いやぁ、よかった。

ショスタコーヴィッチはほんとうにいいよ。


今回の座席はめずらしく桟敷席じゃなく二階正面。久々に最高のポジションでオケを堪能できました。

琴音さん、とむさん、どうもありがとうでした^^


(画像の草は、サントリーホール前に出現したモニュメント。草の橋。昨夜も晴れていて、満月と草をおさめたものです)

コンサート後に飲むルービーも美味かった。

近くのコンビニに寄って、国会議事堂前駅までゆっくりと歩きながら飲んでたんだけど、このひとときは最高だった。



■それと、最近の気になる報道から。

言葉で表現することが苦手な人々が増えているという、小中高生の生活実態調査の記事。

どんどん傾いていくこの国のいちばんの病巣はここに表れている。

言語で相手に伝えるという能力が足りないから手がでる。キレる。

人と繋がりたいという意思はある。

むしろキレない人よりその想いは強いのかもしれない。

それでも自己表現が言葉でなく、暴力に出てしまう。

これは昔からあったことだけどそれは少数だった。

いまは多くの人が自己表現の下手さ(困難さ)に困って、黙りこんでしまうか、キレるという結果になっているようだ。

言語による表現はどんどん衰退しているので、このままではマズいことになる(もうなっている)。

とんでもない重犯罪はここが起因となってるんじゃないか。

セキュリティー対策なんかほとんど役にたたない。

じわじわだが、未来が恐ろしくなる現実だ。