■ひさしぶりに風邪をひいてしまった。

と言っても軽い症状で、喉がすこし痛いのとハナがでる程度。

まあ、土日はよく眠ったからだいぶ身体はラクになったのだけどね。


風邪というものは、身体の悪くなった箇所を治す役目がある、と聞いたことがある。

そういう気でいると、風邪の状態でいるもの悪くないものだ。風邪薬を飲んで早急に治してしまうのはもったいないくらい。

かといっても風邪のダルい状態でいるのは日常に差しつかえる、仕事の能力がおちる、と考える人がほとんどだろう。

「すぐに治したい」は現代人の特徴でもある。

俺の場合、風邪で困るのは、コンサートで咳がでてしまうことくらい。

特に風邪が治りかけの頃はひどい咳がでるんです。そのときにちょうどコンサートだとつらいものがある。

他人の咳に対してはあまり神経質ではないのだけど、東京のクラシック客は過剰に神経質だ(もうちょっとゆるやかであってもいいとおもう)

あとはそんなにすぐに治らなくてもいい。


ボーッと寝ながら本を読んだり、ウトウト眠ったりするのもたのしいと言えばたのしいし。

それに風邪薬はほとんど信用していないからのまないんです。

あれは製薬会社の作戦なんじゃないのか?風邪の特効薬はないんだし、症状を抑えるだけ。その症状を抑えることは返って風邪の完治を遅らせることにならないのか?と疑っているくらいだもの。


まあ、それはさておきとても長い小説『ねじまき鳥クロニクル』もいよいよ終盤に差しかかってきた。

その中の登場人物のセリフ。

日本人が戦後ゆいいつ得た哲学は『効率』くらいだろう。いかに効率よくモノゴトをすすめるか、それに尽力をつくした・・ようなことが書かれてある。

そうだとおもう。

ほとんどの企業、政治は「効率よく!」を目指している。一般の人々にもそれが浸透していて無意識に「効率よく!」生活している。

そしてそのためにどうでもいい努力がされている場合がある。

この結果、功績も当然ながらあるけど、人類全体という視点で見ると、負のほうが大きくなっているんじゃないかと、つねづねおもってしまう。

それを証明することは俺にはできないが、感覚でそうおもう。


不思議なことに、世の中、便利になればなるだけ、人々は忙しくなっていく。

どういうことだろうか?とよく考える。


ひとつのベンリは、「それができるんなら、こんなベンリもできるはずだ」ということで、そっちに労力をそそぎベンリの生産は増殖していく。

また、ベンリによって発生した隙間は、人の余暇にあてられるのでなく、次の問題解決の為にあてられる(無理して問題を探しているようにもみえるが)

その結果、ベンリは時間を短縮することになって、人々の意識は時間に対してより厳しくなっていく。遅れは許されない!という風潮にどんどんなっていく。

そこにはさして意味はないのに、ただ遅れることにのみが許されないという変な事態になっていく。

そしてこの動きは永遠につづいていく。永遠に。

だからベンリになればなるほど人は知らず知らずに多忙の犠牲になるってわけだ。


しかも日本の場合、集団至上主義だから、みんな同一の動きをとる。

土日の高速道路や観光名所の混雑だって、俺は絶対に行きたくないとおもうもの。

そんな大変な思いまでしておもしろいのか?となるんだけど、そっち側から見れば、せっかくの安い恩恵を受けないなんて、よく分からないヤツだ、となる。

やらなきゃ損だろう、ってことだろうね。

美味いもんにしても、これを食わないで死んでしまってどうする?行列するくらいないんでもない、とおもいながら食べているのかもしれない。

これも、ただ単にオドラサレテイルようにしか見えない。

ちょっと脱線してしまった^^;


まあ、この辺で


では


じゃんじゃん