
滝というのが正しいのか分からないが、水がザーッ!と落ちてくるやつが。
あの水音をずっと聞いていて思ったんだけど、水の音ってやつは人の気持ちを落ち着かせ、整わせる力があるんだなあ、と。
都心というのは、どこにいても何かしら人工音が聞こえてくるし、人の話し声もあちこちからガヤガヤと聞こえる。
そんな状況には慣れちゃっているけど、一歩下がってみると、うるさいところですよね。
ここみたいに自然の音がこれだけダイナミックに聞こえる所っていうのはそうはない。
自然の音というのは、人を自然に還らせるものだ。
もう20年以上も来ているけど気がつかなかった、ここは心底落ち着いていることができる、貴重な都心の真ん中の空間なのだと。
この日は一日中寄り道をしていて、午前10時過ぎにはアークカラヤン広場に着いていた(赤坂周辺を散策しているときはつい寄ってしまうのだ)。
この時間は人もまばらでまだ空気がきれいだ。
平日休日問わず、ここの午前中は素敵な時間を約束してくれる。
カフェでコーヒーとアップルパイを買ってテーブルに座っていた。
うららかな陽の光が広場いっぱいに満ちている。
何も考えずにただそこにいるだけで、とても満足した気持ちになってくる。
まるで本来の(または新しい)自分を取り戻したかのような充実感(そういうのってなんかわかるでしょ?^^)
そこで、読みかけの小説を読んだり(“クロニクル”第二巻。クミコの長い手紙から先)、時が過ぎ去るのをなにもしないで、ただただ人々や鳥を眺めているだけで、あとのことは時間のヤツに任せていたり、シナリオの構想を練ったり、サントリーホールのコンサート情報を見ていたり、それでもまだまだ離れたくなくて、三時間以上もそこにいた。
そして、ぼうっとしているときは、自分のことを振りかえることもできた。
心の底から落ち着いているからなのか、最近の身の回りの出来事をじっくり思い起こすことができ、ひとつひとつ整理してみた。
ある部分は整理がついたり、またある部分は整理がつかなかったり(つかない場合、どこが分からない部分なのかはうっすらと見えた)
そうすると、良くわからないで日常をもんもんとした気持ちを抱えながらおくっていた要因が浮かびあがってくる。
でも、浮かびあがってきても、それをどうとらえて、これからどう考え、どう行動していくのかということについては、また違った努力がいる。
それでも前進には違いない。
こういう時間ってとても必要なんですよね。
それが最近の俺にはなかったので、それがもてたことも良かった。
■その後、けっこういろんなところをウロウロした。
いつもいく街でもわざと通ったことにない路地を歩いてみると、新鮮でおもしろいものでよくそういうことをする。
で、途中またしても渋谷のタワーに行ってしまい、CDを買った。
というか目的の1つはCDが欲しかったんだけどさ。
カール・ベームとウィーン・フィルによるブラームス全集と、ブーレーズのバルトーク作曲ピアノ協奏曲集。
ベームのブラームスはラトル盤の疑問と不満を解消させるためにも是が非でも聴きたかった!
ベーム晩年にスタジオ録音(といってもムジークフェラインザールだけど)されたこの全集は感動した!
ものすごく味わいぶかいブラームス。
『第一』の序奏は驚くほど充実した強靭な合奏ではじまる。
序奏はとばして聴いてしまうことが多いんだけど、そんなことはできない。説得力が強くて「ああ、こういう曲だったんだ」とおもいながら聴いた。
全体のテンポは遅め、またライヴと違って大人しい印象もある(ベームのライヴは凄まじい!)。
しかし深い、とても深い。
ウィーン・フィルの面々はカール・ベームの指示だけで演奏しているのではなく、あくまで自発的に、積極的に演奏しているように聴こえる。
この指揮者のために俺たちの持てる力のすべてを出すぞ!みたいな気概。ベームに対する信頼関係、尊敬する想いがあって、良い録音を残したい!という意気込み。
そういうものをひしひしと感じる。
さらにベームはもっていきかたが実にうまい。
速いテンポからゆっくりのテンポに移り替わる場面での自然さ、叙情的で美しい旋律の歌わせ方、ほんとうにうまい。
こういう指揮を久しぶりに聴いた。
なんとなくだけど、これはベームが優れたオペラ指揮者であったことと関係している気がした。
まるで優れた物語を優れた読み手がろうろうと読んでいくような語り口(指揮、演奏)なのだから。
良い読み手に恵まれた聴衆は幸福だ。
派手な仕掛けはいらない。
すぐれたスコアとすぐれた解読者がいれば、自然とすばらしい演奏になる。
そんなカンタンなことじゃないけど、そんな言葉が浮かぶくらいすてきな演奏でした。
今週は天気に恵まれそうですから、元気にいきましょう!
じゃんじゃん!