■先週、九州の人達と接待というか飲み会をやったんだけど、これが久々のアホアホ飲みだった^^
彼等は泊まりでこっちに来ているから超羽伸ばしモード!
出張で泊まりとなると、カミサンのいる家に帰らんでいいから無理してでもジャンジャンいっちゃうものでさ、彼らにその勢いがみえたのだ。
俺も泊まり出張だとだいたいオールで飲んでるもの。
どこからそんなパワー出てくるのか知らんが、とにかくこんな自由は当分ないんだから今がんばんないでどうする!?みたいになる。
で、そんなノリノリの九州男児(オッサン)と我々在京のいつものノリのメンバーは、ほとんどが初対面。
俺のいるチームの若手連中はまだ接待慣れしていないから、練習を兼ねて同席させたのだ。
リングはいつもの新橋の居酒屋。
久々に会う飲み屋のおばちゃんからニコやかに迎えられるが、その後のあまりの破天荒ぶりに笑顔にひきつりが走ることになる^^;
細かくは書かないけど、あんなアホな大人たちを久しぶりに見たわ(笑)
自分の顔にマジックで落書きするわ、いきなり裸で襖をあけて登場するわ、最後はストッキング(途中で店を抜けて買ってきたらしい)被って新橋の街をうろつく有様でさ、すごかった。大笑いして楽しかった。
俺もミイラの真似ってことでトイレットペーパーを身体中に巻いて登場しようかとおもったけど、巻いてる途中階段の上からペーパーがトントン・・って落ちてしまい、失敗に。
そんなんで、店の備品を使ってお店の人はムッとしていた。すんませんでした^^;
こういうノリはかつてはあたりまえだったけど、ここんとこ俺もやっていないし、見たこともなかった。
翌日にも同じメンバーで会ったんだけど、お互いどこか恥ずかしくて「はじめまして・・」だって(笑)
この会社にいちばん欠けてしまったことは“アホ”が消されてしまったこと。“アホ”を容認する器がなくなったことだとおもう。
よく他社の人と話したり、いろんなオフィスにお邪魔する機会があるんだけど、こことの決定的な違いに気がついた。
それは、どこの会社でもここよりゆるやかな雰囲気があるのだ。
要因は、会社を構成している人々の人間性の違いによるのかもしれない。
乱暴に言うと、ここには自分を持っていない人が多いから、一つの方針に羊のように従順にしたがうばかりで、自分の考えとは違うとおもっても反抗の気持ちすらでない(または、反抗の意を隠してしまい同調の波になんでもないかのように乗っかる)。
そして、みんなはどんどん一箇所に流されていって、せまい角っこで、ひしめき合って息苦しい思いをしている。
今の時代は極端にお互いを監視しあうし、マスコミ、世間の目はなんだか厳しい。無関心なんだか関心があり過ぎているんだかわかんない社会だ。
こういう目の厳しい世の中で利益をあげなければならない企業は、それをさらに過剰に受け止めて周囲に遅れをとってはならないと同じような対策で身を守ろうとする。
その結果、企業の内部はどんどん堅い組織に突き進んでいく。
放っておくと息をするのにも気を使うほど、ギチギチの空間になっていくだろう。
以前はこの会社にもけっこうアホな連中がいて、市民権をもっていたんだけど、いつのまにかその市民権は剥奪されていった。
いまやアホをだせない雰囲気に変貌していった。
誰がそうしたのか?ではなく、“会社全体”がそうした。
上司に従うことが正しいことだと信じて、考えない、疑わない、“良い子ちゃん”的連中が氾濫している。
そんな中身のない連中と話をしたって、その人間の内面が見えてこないから面白いはずがない。
この自分の考えを言うのを憚る傾向はなんなんだろう。。。
中国当局じゃないんだからもっと堂々と言ったって拘留されないって。まあ、管理職だったらクビになるかもしれないが(笑)
そのクビを恐れているのか、出世の道が閉ざされるのを警戒しているのか、なんかよう分からんが、あまりにも骨がない。
映画で『空気人形』というのがあるが、これじゃ空気人間だって。
時には突拍子もないことを言って、それに感化されて自分でも気がつかない面が引き出されるのが、会話ってもんじゃないか(人間なんてとても深いものをそれぞれが抱えているんだから)。
平均的で、山でも谷でもなく、相手の反応の予測がつく会話になんの意味があるというのだ。
で、話をもとに戻すと、この会社に限らず社会全体から“ゆるさ”、“アホさ”はどこに消えていってしまったんだ?ということ。
すべての年齢層の日本人が無表情になってしまったのは、このゆとりのなさも1つなんじゃないか。
たまにはこういうアホなことをやらないと本当のバカになっちゃうぜ。
じゃんじゃん!
彼等は泊まりでこっちに来ているから超羽伸ばしモード!
出張で泊まりとなると、カミサンのいる家に帰らんでいいから無理してでもジャンジャンいっちゃうものでさ、彼らにその勢いがみえたのだ。
俺も泊まり出張だとだいたいオールで飲んでるもの。
どこからそんなパワー出てくるのか知らんが、とにかくこんな自由は当分ないんだから今がんばんないでどうする!?みたいになる。
で、そんなノリノリの九州男児(オッサン)と我々在京のいつものノリのメンバーは、ほとんどが初対面。
俺のいるチームの若手連中はまだ接待慣れしていないから、練習を兼ねて同席させたのだ。
リングはいつもの新橋の居酒屋。
久々に会う飲み屋のおばちゃんからニコやかに迎えられるが、その後のあまりの破天荒ぶりに笑顔にひきつりが走ることになる^^;
細かくは書かないけど、あんなアホな大人たちを久しぶりに見たわ(笑)
自分の顔にマジックで落書きするわ、いきなり裸で襖をあけて登場するわ、最後はストッキング(途中で店を抜けて買ってきたらしい)被って新橋の街をうろつく有様でさ、すごかった。大笑いして楽しかった。
俺もミイラの真似ってことでトイレットペーパーを身体中に巻いて登場しようかとおもったけど、巻いてる途中階段の上からペーパーがトントン・・って落ちてしまい、失敗に。
そんなんで、店の備品を使ってお店の人はムッとしていた。すんませんでした^^;
こういうノリはかつてはあたりまえだったけど、ここんとこ俺もやっていないし、見たこともなかった。
翌日にも同じメンバーで会ったんだけど、お互いどこか恥ずかしくて「はじめまして・・」だって(笑)
この会社にいちばん欠けてしまったことは“アホ”が消されてしまったこと。“アホ”を容認する器がなくなったことだとおもう。
よく他社の人と話したり、いろんなオフィスにお邪魔する機会があるんだけど、こことの決定的な違いに気がついた。
それは、どこの会社でもここよりゆるやかな雰囲気があるのだ。
要因は、会社を構成している人々の人間性の違いによるのかもしれない。
乱暴に言うと、ここには自分を持っていない人が多いから、一つの方針に羊のように従順にしたがうばかりで、自分の考えとは違うとおもっても反抗の気持ちすらでない(または、反抗の意を隠してしまい同調の波になんでもないかのように乗っかる)。
そして、みんなはどんどん一箇所に流されていって、せまい角っこで、ひしめき合って息苦しい思いをしている。
今の時代は極端にお互いを監視しあうし、マスコミ、世間の目はなんだか厳しい。無関心なんだか関心があり過ぎているんだかわかんない社会だ。
こういう目の厳しい世の中で利益をあげなければならない企業は、それをさらに過剰に受け止めて周囲に遅れをとってはならないと同じような対策で身を守ろうとする。
その結果、企業の内部はどんどん堅い組織に突き進んでいく。
放っておくと息をするのにも気を使うほど、ギチギチの空間になっていくだろう。
以前はこの会社にもけっこうアホな連中がいて、市民権をもっていたんだけど、いつのまにかその市民権は剥奪されていった。
いまやアホをだせない雰囲気に変貌していった。
誰がそうしたのか?ではなく、“会社全体”がそうした。
上司に従うことが正しいことだと信じて、考えない、疑わない、“良い子ちゃん”的連中が氾濫している。
そんな中身のない連中と話をしたって、その人間の内面が見えてこないから面白いはずがない。
この自分の考えを言うのを憚る傾向はなんなんだろう。。。
中国当局じゃないんだからもっと堂々と言ったって拘留されないって。まあ、管理職だったらクビになるかもしれないが(笑)
そのクビを恐れているのか、出世の道が閉ざされるのを警戒しているのか、なんかよう分からんが、あまりにも骨がない。
映画で『空気人形』というのがあるが、これじゃ空気人間だって。
時には突拍子もないことを言って、それに感化されて自分でも気がつかない面が引き出されるのが、会話ってもんじゃないか(人間なんてとても深いものをそれぞれが抱えているんだから)。
平均的で、山でも谷でもなく、相手の反応の予測がつく会話になんの意味があるというのだ。
で、話をもとに戻すと、この会社に限らず社会全体から“ゆるさ”、“アホさ”はどこに消えていってしまったんだ?ということ。
すべての年齢層の日本人が無表情になってしまったのは、このゆとりのなさも1つなんじゃないか。
たまにはこういうアホなことをやらないと本当のバカになっちゃうぜ。
じゃんじゃん!