
■さて、秋になるとブラームスが聴きたくなるのは毎度のことで、毎晩のブラームスとルービーがたのしい季節になった。
バーンスタイン指揮ウィーン・フィルの交響曲第二番を頻繁に聴く。
ブラームスのようなしっとりとした音楽にはウィーン・フィルの艶やかな響きがとてもあう。
この演奏を聴いていると、極上で贅沢な時間をすごしているのだ、という満足感があるんです。
おもいっきり激しい爆演ではなく、こういうほどいい落ち着きがあるのもいい。
大迫力の熱演も大好きでよく聴くけども、秋はゆったりと情緒ある演奏に耳をかたむけていたいものだ。
夏の疲れがとれていくかような蘇生、療養をしているような感じがするから。
それと、ラヴェルもいい。
感傷的なワルツ、亡き王女のためのパヴァーヌ、そして大曲ダフニスとクロエ。
感傷的なワルツはブーレーズの旧盤(ソニー)に親しんでいたけど、アバド盤(グラモフォン)を聴いたらこっちのほうが気に入るようになった。
ラヴェルのスコアはすべてを整然と計算のうちに作曲しているかのようで(おそらく彼の性格上そうなのだろう)、ときに堅苦しさを感じる。
やわらかく濃厚な色気がおもいっきり漂うシーンでも、完全に没頭できない“背後の何か”が邪魔をしてくる。
アバド盤はそんな余計な何かを忘れさせてくれる。
Assez lentでの途方もない孤独感はとくによかった。
■さて、話題はガラッと替わって。
時間がたっぷりあるとはもう思わないし、思わないようにしている、そんな状態にある。
40を超えると折り返し地点を過ぎたころだという意識がどこからともなく芽生えてきて、「あと俺は何時間生きていられるのだろうか?」と、時たまおもうようになった。
タイムリミットを意識するなんて“余生”の段階に入ったみたいなんだけど、そうおもうのだ。
そう考えるたびに俺はなんにもしていないことに焦る。
やるべきことをなんにも実現していないじゃないか、と。
なんかのひょうしに話したりするおじいちゃんとかは、とてもゆったりと過ごしているようにみえる。
野球観戦をして、酒を飲んで、世の中や政治を批判して、そのうち眠っちゃう。そういう毎日。
内面ではいろいろあるに決まっているんだけど、そういうふうに暮らしている人って気になる。
俺はああいうふうになれるかどうかわからない。映画を見て酒を飲んで寝る。その繰り返しだとしたらとても満足できないんじゃないか。
何をすれば満足できるのかわからないながらも、何かに取り組んで目指しているが、これが正しいことかどうかもわからない。
なにもなしえないで終わる人生は虚無というか・・なぜかそういう強迫観念にとらわれている。
だからか、何気なく生きている人をみると「なんだかなぁ」とおもう反面、とても羨ましくおもう。
俺もこれで満足していられればラクなのに・・と。
おじいちゃんは、なんもしていないわけではない。
なにかをしたいとおもって手を出しても、うまくいかず、やめてしまったのかも。そのうちそういう情熱が消えてしまった、のかもしれない。そうであればやはり己との闘いに負けてしまったのだろうか。
それでも負けを受け止められることを羨ましくおもう。
まあでも、そんな先のことを気にするのでなく、今やることを真剣に取り組まないといけない。
もうこれは今の俺自身に言い聞かせていることだな。
よくここで書くことってそういうことが多い。みなさんに向かってしゃべっている言葉でも、実は俺自身に向けられた言葉であることがある。
書いているうちにそうなる。
ちょっと話を戻しますか^^;
病気を患ってもうすぐ死ぬわけではないが、普通に生きても人生っておもったほど長くはない。
シナリオ勉強をしつつも、本当に書きたいことを文字にしていくことにしている。
勉強しながら本チャンに力を傾ける。
そうする必要を強く感じている。
■そうかといっても努力しないで、あきらめる事も場合によっては必要だ。
努力で自分が変われることついては、あきらめないでがんばるべきだろうが、相手がある場合はこれとは違う。
男女の諍いから起こる犯罪は年間何件あるのだろう。
数は増加しているかわからないけど、内容は酷くなっている。
交際を断られたからといっては相手や親類を殺してしまう。
そんな身勝手極まりない事件がよく紙面に載る。
そういうのを読むたびに「この人はあきらめることをしらないんだな」とおもう。
努力すれば相手の気持ちが変わると思っているのだろうか。駄目なものは駄目に決まっている。そんな単純なことを分かっていない。
厳しい現実を受け入れて内面の苦しみに耐えることを放棄してしまうのか。
ほとんどの人間は、いろいろな現実を受け入れて己の内面と闘って、そのうち癒されていく。そして一歩人として成長するもの。
それをしないで勝手な感情を一方的に相手に押し付ける。気持ちは戻ってこないのを意識のどこかで知っていてもそいつの収まりがつかないからそういうことをやる。
こういう胆略的で幼ない動機でしかない(けれど原始的でもある)
それと、誰かれ構わず傷つける無差別事件もあり、これは社会が悪いと言われるけども、いずれも教育の問題だとおもう。
日本には哲学や宗教の教科がほとんどない。
心の問題は学校では教えてくれない。そのうえ、いまの家庭や社会では学ぶ機会はほとんどない。
これは本当に大きな問題だとおもう。
今の日本にいちばん欠けているのはここの部分だ。
倫理が崩れているからといってすぐに法で縛るけど、根本的な解決になっていない。
焼け石に水滴ぐらいなもんで、あっとうまに蒸発してしまう。
教育は根底から見直すところまできている。
でないと、2020年には1990年と比較してマイナス25%さらに国民は愚かになっているんじゃないか。
まとまりのない文章でした^^;
じゃんじゃん!