■何年か前、北朝鮮から蓮池さんたちが帰ってきたときのTV映像、みなさんは覚えているでしょうか。

俺は明確に覚えている。それはとてもショックを受けたから。

北朝鮮というまったく外界(国)と遮断している国に住まされていた日本人。今の地球上でそんな国はごく限られている。

拉致被害者の方は本当にこの飛行機に乗って帰ってくるのだろうか?

マスコミが公開していた拉致当時の写真はとても古くて、現在はどんな顔立ち、容姿になっているのだろうか?想像もつかない。

事前の情報がまったくない。

平壌から日本の報道機関が中継していたわけでもない。北朝鮮も「ただいま日本人を乗せた飛行機が平壌空港を飛び立ちました」といけ高々に国営放送をながしたわけでもない。

なんの映像もない。

言ってみれば、まったく“未知の世界”が飛行機に乗ってやってきたのだ。

とても失礼な言い方かもしれないけど、もし宇宙人がいてこのタラップから降りてくるとしたら俺は同じような興奮と期待をもってそのTVを見るだろう、とおもっていた。

これほどの事前情報がない体験をしばらくしていないことも思いあたっていたし、今目の前でおこっている未知の体験にワクワクもしていた。


■このことは、それだけ普段の俺らの生活は“先のことはほぼ明確にわかっている”という生活をしているんだとおもった。

科学技術、通信技術の驚異的発達により“なんでも知っている”のが前提になっている。

ネットをたたけば大体のことは分かると信じている。自分の頭のなかの答えでなくネットの方を信じる。マジョリティーの情報を信じる。自分の大切な考えを殺してまでも。


なんでも分かってしまう(ほんとうは分からないのだけど)世の中は実はなにをやってもおもしろくない。

はじめから答えを知ってクイズをやっているようなもので、安全だけどおもしろくもなんともない。

知らないからこそ興奮するということがなくなってきている。

だから現在の人間に元気がなくなるのも無理はないんじゃないか。

おもしろい世の中に生きていないのだからそりゃ覇気はなくなるっての。

冒険心もなにもない。すべての答えが見えていて生きている。


反対に、この動きがもっと進んで、将来本当に世の中や自分の未来がみえる時代がきたとしたら、とても生きていけないとおもう。

みなさんも思い返すと分かるでしょうけど、人生の大半は苦しいことで占められている。

ときたま楽しいことはあるけど、大半は苦しく大変な時期がほとんど。

このバランスは運命的なものだから変えられない。

将来だってこのバランスがずっと続く。

そして最終的にはどんな人にも公平に死は訪れるし、末期は重大な病気でくるしんでいる自分を見つけてしまうかもしれない。

だから未来のことなんかは知らない方がいい。

知らないからこそ現在を生きていられる。

知ったら怖くて不安でどうしようもなくなる。精神的な病は爆発的に増えるだろう。

そもそも知らないのが人の本分なのだ。

知りたくても知ることができない、その地点まで行かないとわからない。それがいいとおもう。


だから必要以上に知ろうとしない風潮がないと、ますます息苦しい世の中になる。

科学技術の発展には常に人の影響を考慮しないといけない。

商売も生活のためには大切だけど、単に売れるモノを作るという思考に知恵・検証を忘れないようにしないといけないんじゃないか。


話は代わって、最近の飲みはあらかじめ店を決めないでその街にいってから決める場合がふえてきた。

その日どこで飲むとか決まっていると楽しみが減ってしまう気がして。

前にも言ったように“行きあたりばったり”の不確定要素を多くしておく。

街を歩いてそのとき気に入った店ののれんをくぐる。

そういう冒険的なものがおもしろい。

その店が外れたら外れたでこれまた笑い話しになるから、失敗でも楽しい。


元気になる秘訣は先のことをあまり気にせず考えず、いまやりたいことを一生懸命やるだけなんじゃないかとおもう今日この頃です。



・・と、よくこういうことを土日に物語を書いているときに思いうかぶ(これを書いたのも先週土曜)。

肝心の物語よりもこっちの方を考えちゃったりして、本業がすすまんかったりする^^;



じゃんじゃん