
昔読んだ藤沢作品を再読しているのは、いま原点に立ち返りたくなったから。
当時、もっとも好きな作家の何に心がゆり動かされ、「すごい!」とおもったのか、あらためて読み直したくなった。
読んでみると、けっこう直線的な表現がされていて意外だった。
もっと含みをもたせた文章になっているかと思っていたけど、感情表現はストレートで激しい。
でも、それが心にどかんと(ときにはじんわりと)響く。
しばらくは消えない心地いい余韻に浸ることができる。
「そうだ、オレはもっとオープンに表現していいんだ。というよりしないといけない。でないと読み手にうまく伝わらない」
オレが書く物語はどうもここが弱い。変に遠慮しすぎているのか、カッコつけて副次的に表現したいのか、表現したい軸がぼやける。意識を変えていこう。
書こうとしているのは、芯がつよい主人公が、うまくことが運ばないながらも自分の道を見つけてぐいぐい進んでいこうとするもの。
そういう胃のもたれそうな強引なストーリーを書こうとしている。
はじめはそういうのを書いてみたいのだ。
■その対極の主人公は、川上弘美さん『風花』の“のゆり”。
のゆりは、自分でも認識しているように、“どうしたいのかわからない”女性。
いつも周囲に流されているし、決定的な局面でさえもフワフワとしている。
たまになんの前触れもなく飛びだす自己主張も、自分を表現するのが下手なだけに、スマートにいかない。ぎこちない。
相手の気持ちを過剰に意識しすぎて行動に出にくい。でも、ネガティブな傾向になるでもなく、たんに生きている、というような薄い印象。
しかしこの“じれったい主人公”に魅力をかんじる。
それは作者が心の奥底を読者に提示しているからだ(どんな物語でもそうだろうけど)。そうでなく、表面の部分だけ見るのであれば、のゆりは“なんだかよくわからない女”でおわってしまう。
提示されたのゆりの心に共感できるところがある。具体的にはまとめないけど「おもえばオレもそんなふうに考えるときあるな」と。
のゆりの気持ちの浮遊は、実は誰しもが持っている普遍的なものなのかもしれない。
彼女が素直な人間でがんばり過ぎないから、それが浮きでているだけ、というね。
とにかくどんどん読み進んでしまう。
のゆりは、池に浮遊する植物のように周りに抗うことなく自然とながれていく。
今後どこにながされていくのだろうか。
それとも
ながされていく生活に終止符を打つのだろうか。
たぶん川上さんのことだから表向きの大きな変化はさせないんじゃないかな。
■ピアニストのグレン・グールドは知れば知るほどはまっていく。
奇行に満ちた天才音楽家という一般的認識は、ほんとうにたんなる一般的認識でしかないのが段々明らかになってくる。
最近グールドの演奏をよく聴くが、ピアノの音までも変わってきているように聴こえる。
少しずつ彼のCDを買いそろえていこう。
な~んか夜眠れないんだよな、テンションあがらんから、しばらくローペースでいきます。
じゃんじゃん