■罪を犯した人の言い訳や、それに対するメディアのコメントでこういうのがある。


「社会が悪いから」「育った環境が悪いから」


なぜこの人は罪を犯してしまったのか?その原因を解明しようとする。

なんらかの結論を導き出そうとする。

まったく理由なき犯罪はありえない、どこかに原因はあるはずだ。。。

そういう意図から専門家は結論を述べる。


でも、このことを考えるたびにオレはこうおもう。


「結局はその人間が、自らの意思で犯罪に手を染めようと決意したんだ」と。


劣悪な社会環境などは、要因の1つであるかもしれないけど直接的な原因じゃない。

いろいろな悪い出来事が重なって(どんな人にも悪い事態は降りかかってくる)、内面で葛藤した結果その人がそうしようと決めて実行した。

だから社会によって人格が歪められたからとか、それを結論として前面に出すことはどこか違うとおもう。


「ここがまさに分岐点だな」とおもう地点があった。

どっちの道にいこうか迷った。

自分の意思でこっちに行こうと決意して、右側の道を選んだ。

左側に行っていたら今とは違う自分になっていただろう。

そういう経験はなんどだってある。

みなさんだってあるでしょう。


そうやって人格は出来上がっていくのかもしれない。


犯罪とまで言わないまでも、人に嫌がらせをする、人の痛みが分からない歪んだ人格の人にも同じことがいえる。

嫌がらせをするという人格を選んだのも、どこかの分岐点で自分の意思で、自分だけの決意で、そうしようと決めたこと。

だからそこには酌量の余地はない。

厳しい言い方かもしれないが、基本はそういうことだとおもっている。



そう考えると性格や人格は己の意思でつくりあげることができるということにもなる。

性格は持って生まれた“核となる意思”が、生きていくうえでどんどん形成づけられていく。

その人間がその人らしくつくられていく。


そして、それには終わりがない。