■この前こんな会話を事務所でしていた。

「オレ、日経っすねー」っていう奴がいて。

「おまえ!経済に関心あるんだー」(あまりなさそうな男なんだけど、そう言ってみた・笑)「おもろいか?」

「いや、ぜんぜん読まないんです。TV欄くらいしか」

「え?なんじゃそりゃ?」

「社会人は日経くらい読まないとマズイかなぁとおもってとってるんすけど、ね~」

「でも読まないんじゃ、意味ないじゃん!」

「そうなんですけど・笑」

「だったら、朝日とか読売の方がおもろいぜ。社会全般のことを分かりやすく書いているし、そっちの方だったら読むんじゃないか?」

「えへへ・・」

だって。


こういう男はこの会社では他にもいた。人はいいんだけどね。

読まないのに日経をとる男。そういう男が複数いる会社はヤバイ。


もったいないのはもちろん、単にどうでもいい風潮に流されているだけで、まさに「なんだかなぁ」だ。

たぶんなんも考えないんだろうな。

そういうオレは日経は読んでいない。必要性がないし一般紙の方がおもしろいから。デイトレーダーでもないし生活や業務に今のところ差し支えがない(とはいっても、日経の文化面はおもしろいのでよく見る)

朝日と読売の2紙をできるだけ読むようにしている(時間があるときは)。

新聞は“社の意向”がどうしても働いているから、主張が偏る。

一紙だけだと危ない(今朝の朝日、作家辺見庸さんの日本の死刑制度に対する記事が載っている。とても興味ぶかく読んだ)



■物語は、書けば書くほど、自分はいったい本当は何を書いていきたいのか、わからなくなるわ。

いまはそういう状態。

それまで暖めていたテーマや主張は実はそれほど深いものじゃなく、本当はもっと別の側面のもの、より深い部分にあるものを書きたいのじゃないか?それは一体なんだろう??って。

この繰り返し。

本当に表現したいことの根幹がしっかり見えていないと、全体がぐらつく。

何を言いたいのかぼやけていたのでは、気持ちが相手に伝わるわけがない。

でも前に進んでいかないと。

変に道徳的になることはないと分かっていても、意識しないと通り一辺倒でどこにでもよくあるおもしろみのない、読み手の心がまったく動かないものになってしまう。

世の中は道徳や規則に溢れているけど、生き物である人間はそんなくくりのなかだけで生きていくにはあまりにも固っ苦しすぎるものだ。

いったんそういう表層をとっぱらって、その下にある生き物としてのリアルな人間の姿、素の心ではどんな気持ちが生まれて、どんな行動にでるのか、そういう視点で考えることは最低条件だ。

まだまだはじめの一歩。

さて、やりますか!!!



じゃんじゃん